2009/01/17

きみがいなくなった日

ありふれた幸せは、突然に消える。

消えてから、自分がどれだけ幸せだったのか気づくのだ。

気づいたときには、幸せへの扉は、閉まっている。


私は今日の午後、部屋の掃除をしていた。もうしばらくのあいだやっていなかったから、1時間ほどかけてお風呂場やフローリングをきれいにしたら、とても気持ちがよかった。

風呂場にはもう、カビがだいぶ発生していた。とくにシャワーカーテンがひどいありさまで、もはやカビキラーを吹きかけてカビを落とそうという気もしない。掃除が好きな私が戦意を萎えさせるほど、黒やピンクのカビはカーテンを浸食していた。

私は少し悩んだが、そのカーテンを捨ててしまうことにした。

もう1年近く使ったんだし、買い替え時だろう。それに、こんなもの、千円くらいのものだ。そう思った。

私はカビキラーを置き、シャワーカーテンをホックから外した。ホック穴の周辺にも、点々とカビがついている。すべてのホックを外しぐるぐる丸めているとカビのイヤな臭いがした。私はそれを家庭ごみの黄色い袋に入れた。

さて、いろいろ買物もしなくちゃだし、そのとき、ついでにシャワーカーテンも買ってこよう。


本が増え、部屋の収納が足りなくなってきたので、私は本棚を探していた。まずは自転車で西大路通に出て、イズミヤというデパートに立ち寄った。けれど、そこには手頃な大きさの棚はなかった。このときは、はじめて足を踏み入れるデパートにわくわくしていて、すっかりシャワーカーテンのことは忘れていた。

次に千本通の少し西側にある、コーナンに立ち寄った。ここにも部屋の壁にぴったりあう収納はなかった。けれど、ここではシャワーカーテンのことを思い出し、浴室で使うイスとかオケが置いてあるコーナーを見てみた。しかし、置いてない。

(まあ、いいや。帰りに無印良品にいって、そこで買おう。)

私は楽観的だった。あまりに楽観的だったのだ。


私のお気に入り、千本通の無印良品。たいていの家具は、今の部屋に引っ越したとき、ここで買った。カビだらけになって捨てたシャワーカーテンも、実はここで買ったものだ。

店舗の2階に小さなエスカレーターであがり、アイリッシュミュージックが流れる店内でしばらく家電や食品をみた。統一感もある無印良品はいるだけで楽しくなる。

それから、洗面用具などが並ぶ一角をのぞいてみる。タオル、ハンガー、コップ、鏡など、いろんなものが揃っている。だが、シャワーカーテンが見つからない。たしかにまえはあったのだが、何度商品が陳列されている棚を見てみても、シャワーカーテンはない。

仕方がなく、私は店員の女性に訊いてみた。

「すみません。シャワーカーテンは置いてますか?」

すると、店員の人が、

「いまは扱ってないんです」

と言った。

こんな短期間で商品が消えるなんてことがあるんだろうか。私はいぶかしく思ったが、事実、どこを探しても見つからなかったのだ。できればまたおなじものが欲しいと思ったが、諦めるしかなかった。

でも、大丈夫。帰りにドラッグストアで買えばいいのだ。なんの問題もない。

私はまだ、心に余裕を持っていた。このとき未来のことが見えていたら、私はためらうことなくイズミヤに引き返していただろう。


「いらっしゃいませ」

私はドラッグストアに入った。ここも比較的よく来るお店だ。いつもは入浴剤やお菓子を買うことが多いのだが、今日は違う。欲しいのはシャワーカーテンだけだ。一目散に、シャンプーなど、お風呂関係の品物が集まっているコーナーにゆく。

ふと、シャワーカーテンのようなものが目についた。が、よく見るとそれは、からだを洗うためのタオルだった。ありそうな場所をくまなく探してみても、シャワーカーテンは見つからない。店員の人に訊いてみても、「置いてないですねぇ」という答え。

さすがの私も、不安になった。

三度目の正直、という言葉があるが、私は3軒目の店で、またしても、期待を裏切られたのだ。心に絶望の影が忍びよってきた。

(いつから日本では、シャワーカーテンが希少品になったんだろう。)

そんなばかばかしい疑問さえ感じてしまった。だけど、笑いごとでは済まされないのだ。なぜなら、近くにあったもう一つのドラッグストアにも、シャワーカーテンがなかったから。

お店を出る。家を出たときはまだ明るかったが、もうすっかり夜だ。シャッターを下ろして、一日の仕事を終えているお店もある。自転車にまたがりペダルをこぐと、真冬の冷たい夜風が私のほほを紅く染めた。


部屋の玄関をあける。とりあえず荷物をベッドに放り投げ、ユニットバスの洗面所で手を洗う。左を見ればぴかぴかになったバスタブが光っているが、しかし、そこには一つ、あるはずのものがない。

私は、捨ててしまったシャワーカーテンを、また使おうと思った。きっと、カビを掃除するのをめんどくさがってた自分に、バチがあたったんだ。大変でも、ちゃんときれいにして、このシャワーカーテンを使おう。

そう決意した私は、ごみ袋の奥に突っ込んだそれを引きずり出した。すると、カーテンの上にのっていたごみがいっしょになって袋の口から飛び出してきた。別に、ティッシュやお菓子の袋が出てくるのは構わない。だが、使用済のコーヒーの粉には、さすがに辟易してしまった。

黒く湿った粉が、ぼろぼろとこぼれ、私の服の袖を汚した。さらには、まだ水分の付着していたシャワーカーテンに、その黒い雨は降り注いだ。

「きれいにしてやろう!」という10秒前の決意は、一瞬で吹き飛んでしまった。

考えてみれば、たくさんのごみが詰まった袋に突っ込んだシャワーカーテンである。カビだけでも戦意を喪失させるには十分な汚れだったのに、そこにコーヒーの粉や有象無象が付着したそれは、私の手におえるしろものではなかったのだ。機関銃を手にしたシュワルツネッガーに、だれが勝てるだろう?

私はそのカーテンを、再びに家庭ごみの袋の中に詰め込んだ。

そして、脱いだばかりのジャンパーを着込み、財布と自転車の鍵を引っ掴んで玄関に向った。

もう、いつもの冷静さはなくなっていた。


寒さはさらに増してきている。そして、問題は時間だ。すでに8時をまわっている。たいていの店は、閉店の時間だ。

けれど、私はほんのわずかな希望──まるで氷のカケラのように儚い希望を胸に、自転車をとばした。向うのは、北。北大路の、ビブレである。

コーナンにも、無印良品にも、二つのドラッグストアにもなかったシャワーカーテン。いつでも手に入ると思ってたものが、こんなに見つけにくいとは思わなかった。

ありふれていて、大切なもの。大切なのに、大切だって気づかないもの。それがシャワーカーテンだったんだ。いつだってそこにあって、ずっとそこにいてくれるって思ってた。それであたりまえだと思ってた。

おれは、なんてバカな男だったんだろう。


ビブレの前に到着。もう自転車を駐輪場に入れてる余裕なんてない。私は入り口近くに自転車を止め、走った。

(まだやっているだろうか?)

それだけが心配だった。午後8時。閉店していても、不自然ではない時間だ。むしろ、たいていのお店は閉まっているだろう。

ひとのまばらな通路を歩く。すると、目の前に、照明の落とされたビブレ中心の催事場。その吹き抜けの場所は、暗く静まり返り、入り口には人が入らないように赤いコーンが立てられている。

その光景を目の当たりにした瞬間、私はほとんど、諦めの気持ちに襲われた。もうむりだ。もう、だめなんだ、と思った。

それでも、とぼとぼと一階の喫茶店街を歩く。ミスタードーナツやいろんなレストランは、まだ営業中だ。(このビブレな複雑な構造をしていて、一階部分は地下鉄の駅と接続されていたり、別の店が入っていたりする。)

希望を絶たれて、重い足取りで歩く自分は、まるで野良犬のようだ。そんな気分だった。身を切るような寒さの中、自転車を10分も走らせてやってきたここで、私はまた裏切られたのだ。世界は私に対して閉ざされた。

放浪者、流浪者‥‥‥いや、浮浪者といった方が適当かもしれない。私はそんな存在になった。午前中に試験をおえ、数時間前まで楽しく希望に充ちて部屋の掃除をしていた男は、もうそこにはいない。

もう、今夜とあすの朝は、シャワーを浴びられない。そんな残酷な現実を、私は受け入れようとしていた。シャワーカーテンは、またあした以降に、買いに行くしかない。

けど、どこへ?

ほとんど直感的にビブレへやってきたけど、もしここが開いていたところで、シャワーカーテンが売っているという保証は何一つないのだ。ここにシャワーカーテンがあるなんてのは、私の推測に過ぎない。ホームセンターにもなかったし、以前は売っていた無印良品にもなかったのだ。どうしてビブレにならあるなんて言える? そんなこと言えっこない! ここにもシャワーカーテンはなくて、どこにもなくて、結局、おれはもう二度とシャワーカーテンを手に入れられないかもしれないんだ! もう、二度と!

胸が張り裂けるような思いで、私は飲食店の並ぶ通路を歩いていた。

すると、遠くの方で、エスカレーターが動いているのが見えた。

たくさんの店が入っているこの建物だが、そのエスカレーターがあるのはまぎれもなくビブレである。

(もしかして‥‥‥)

私の視線はエスカレーターに釘付けになった。だれかが、だれかがそのエスカレーターにのるかもしれない。もしそれが従業員ではなく、客であれば、それはすなわち、ビブレがまだ閉店ではないことを意味する。

すると、一人の若い女性が、エスカレーターで上へと運ばれてゆく姿が見えた。

つまり、ビブレはまだ閉まってはいなかったのである。

ビブレは‥‥‥ビブレは、まだ営業していたのだ!

照明が落とされていたのは、ビブレ中央にある催事場だけだった。そこをぐるっと回り込んでエレベーターの方にゆくと、店内のあかりはまだこうこうと輝いていた。絶望しきっていた私の心に、光が射し込んできた。

エレベーターをのぼる。2階、3階‥‥‥。そこにはまだかなりの人がいた。寒さに揉まれ、いくつもの店を駆け回り、堪え難い心細さに苛まれていた私──そんな私はすでに深夜のような気持ちでいたが、まだ人間たちはふつうに買い物をしているのだった。

4階まできた。ここは生活雑貨やお風呂用品のあるフロアである。

頭の中が真っ白だ。もう、なにも考えられない。息を切らしながら、私は書店や家電のコーナーを脇に見つつ目的の場所へ向う。

そこには無数のお風呂関係の品物があった。バスタオルやイスや子ども用の遊具。けど、そんなものは今の私にとってなんの価値もない。欲しいのは、シャワーカーテンだけなのだ。

いくつかの棚を探すと、シャワーカーテンらしきものが見つかった。またからだを洗うためのタオルなんじゃないかと思った。だが、よく見ると、それは正真正銘、シャワーカーテンだ。「シャワーカーテン」と、はっきりとした字でプリントされている。見間違いなんかじゃない、勘違いでもない、それは、ずっと探し求めていたシャワーカーテンだったのだ。

なんの変哲もない、他のものと同じように並べられているそれを、手に取る。いま、ずっと求め続けてきたものが手に入ったのだ。失ってはじめて気づいた大切なものが、私の手の中に戻ってきたのだ。

私はシャワーカーテンを抱きしめて泣いた。

京都市北大路の、ビブレ4階で。

凍りついていた時間が溶けて、ふたたび流れ出した。


ありふれた幸せは、突然に消える。

消えてから、自分がどれだけ幸せだったのか気づくのだ。

気づいたときには、幸せへの扉は、閉まっている。

しかし、その扉を開ける鍵は、きっとどこかにあるはずだ。

2009/01/15

死にたいほどの寒さだけど

今期も、芥川賞と直木賞の受賞作が発表された。

高鳴る胸の鼓動を抑えながら、私はネットでそのニュースを見た。私は落選だった。受賞ならず、だった。

もう芥川賞をめざしはじめて何年経ったことだろう。いつか受賞できるんじゃないかと、期待を抱き続けてきた。だけど、今回も失敗におわった。おそらく、今回私が受賞できなかった最大の原因は小説を書いてなかったことだろう。次回はこの失敗を活かし、成功につなげていきたい。

さて、こんな暗い話題は置いといて、「芥川」の話が出たので自殺の話でもしよう。

もうね、死にたい、寒すぎて。

なんだろ。世の中のたいていのイヤなことってがまんすればなんとかなるけど、底冷えする寒さだけはムリ。いかんともしがたい。ポケットに手を突っ込んで肩をいからせながら歩いてると、もう、存在したくなくなる。あんまりこういう言葉は聞いたことないけど、「存在したくなくなる」。

でも、せっかく親に生んでもらって、「寒過ぎるので死にます」という遺書は書けない。罪悪感ズキズキだし、手がかじかんで字も書けない。だから、自殺はやめにして、大学を中退しようかと思った。そしたら、お外に出なくて済むから。

けれど、ふと気づいてみれば残り授業日はあと3日である。試験を入れても10日を切っている。さすがにその数日のひきこもり生活のために大学を辞めたとあっては、親が許さないだろう。自殺を思いとどまったのに、逆に親に殺されるハメになる。

ってことで、いろいろ考えた末、ホカロン、買いました。

24年目にして、カイロデビュー。

10個一気に買ったから、これで外出時もだいぶ心強い。製造元のロッテは、冬場、こんなCMを流すべきである。


「ちょっと待って! 自殺する前に、ホカロン!」

2009/01/13

恥の多い人生を送ってきました。

これは「コラボ日記」として、『画餅にkiss』の石戸さんが書いたものです

僕には、まだ僕ではない時代が存在した。




それは言わば「種」の状態で、

無意識で、

且つ躍動的で。




又、それはまるで「競馬」の様で、

一斉に放たれたかと思うと、

たった一人のプリンセス目掛けて、

怒涛のレースを繰り広げる。

時にドリフトとかして。




そうして、唯一王の台座に鎮座した者だけが、

生命として誕生するのである。



そう、、、数億分の1の確率で。



今この地球に生まれてくる人間は全て、

このレースを勝ち抜いてきた、

他よりも能力の長けた猛者共なのである・・・。





うん。

はい、僕も、その一人です。

はからずも、僕もそうした一人の人間として生まれましたー。


いやー、第3コーナーまでは微妙だったんすけどねー。

写真判定にもつれ込んで、なんとかトルソーで勝ちましたー。


って感じで。



こんにちは、石戸きい太です。

本当はこのくだりで、



「皆、1位を目指して一生懸命なのです!・・・これがホントの 『精を出す』 なんてね!」



なんて言って日記を終えようと思ってたんですが、

やー、ホント、止めて良かった。

戦後日本一滑るとこだった。




で、まぁ、話を戻しますが。

私事ではありますが、

運命の徒競走で1等賞をとった暁として、

子宮っていう子宮からスポーンッ!って出てきて早22年。






え、早22年?





早っ。




えっと、


早22年が経過したそうです。



どっかとばしてないかな・・、
誰かUNOのskipとか使ったんじゃないかな・・・、


って、そんくらい
いつの間にかの22年。


気付いてたか、気付いてなかったかって聞かれたら、



そういえば、
2年前に成人式を取り行ったかなぁって記憶は無きにしも非ずです。



近所のおばさんが、
「日本一の男前にしたげる!」
って言って髪の毛を切ってくれて、

大木凡人よりも大木凡人みたいになって半分泣いたあの成人式。



突如、飲み会の幹事を無理矢理任された挙句、

ぴったり16人で予約したところ、
ギリギリになって1人増えることになって、
その結果多数決により、


「きい太、ここは一つ帰ってくれ。」


って、幹事なのに飲み会を断られたあの成人式。


で、


泥酔した帰り、
唐突に誰かに愛されたくなって、

タクシー乗り回して山林を駆け上り、


「愛してるよー!!」って叫んで、


やまびこに愛してもらったあの成人式(の夜)。






懐かしい・・・。





懐かしいけどさ、

改めて等身大の自分とか観ちゃうとさ、

もーほんと、心許ない。


(俺、本当にレースを制した人間なんだろうか・・・)


って心配になる。


「お前には負けたよ・・・。」

「人間になれるなんてホント羨ましいぜ!」

「お、俺の分も頼んだぞっ・・・!!」



と、僕の前を去っていった精子たちに顔向けできない。









ああ、僕はいつから、道を誤ったんだろう・・・・。




──────────────




そう思いながら、僕は静かに小学校時代の卒業アルバムを開いた。




そこには、幼い頃の僕が書いた「将来の夢」が記されていた。。

あどけなく、そして他愛ない言葉で無邪気に綴られている言葉達。


自分の文章なのでこういうのは恥ずかしいが、実にかわいらしい。

12歳の思いのたけが思う存分記されている。

心が温まる、やわらかい気持ちになった。



そして最後の文は、こう締めくくられていた。








「ただ、この夢が本当に叶うか、いちもつの不安を抱えています。」











この時点で既になんらかの道を踏み間違えていたことだけは、確認できました。


おはり。

2009/01/12

知性も派遣の時代

期末試験の期間に突入した。

それと同時に、私も重過ぎる腰をジャッキで上げて、ようやく、ほんとようやく、勉強に集中し出した。

前回、卒業論文のために脳をフル活用していたのが昨年の11月下旬から12月上旬にかけて。その後、私の脳は働くのをやめた。完全に、仕事をしていなかった。ある種、私の本能によって、知性が派遣切りされた形である。正月とか、実家にいるときはインテリジェンスのカケラさえない状態だったが、きっと、私のインテリジェンスは日比谷公園にでも行っていたんだろう。

だが、ここへきて試験特需の発生である。私は再び、知性と契約を交わした。

とまあ、むりやり社会問題にからめて怠けてた様子を書いてみたんだけど、まじで長い休止期間だった。ほんの少しの「充電期間」のつもりが、1ヶ月以上かかってるんだもの。私というケータイは、なかなかランプが赤から青にならなかった。もう一生青にならないんじゃないかと思った。

「入ってきた電流、ランプのためだけにすべて消費されてんじゃねぇの?」

とさえ思った。

しかし、また使用できるようになって何よりだ。これでまたがんばれる。レポートも書くし、辞書も引く。

けど、まあ、派遣と同じく、試験という需要がなくなれば、再び切られてしまうのは想像に難くないんだけど。

2009/01/10

マジカル・プロポーズ

マ・ジ・カ・ル・バ・ナ・ナ!

「バナナ」といったら「黄色」

「黄色」といったら「ひまわり」

「ひまわり」といったら「太陽」

「太陽」といったら「暖かい」

「暖かい」といったら「きみといる時間」

「きみといる時間」といったら「最高に幸せ」

「最高に幸せ」といったら「きみといっしょに暮らすこと」

「きみといっしょに暮らすこと」といったら「おれと結婚してくれ」

「おれと結婚してくれ」といったら「きみはOKしてくれるかな?」

2009/01/09

必然的な偶然

年明け初めてのキャンパスだった。

大学に入ってゆくと、そこには大学生らしいお兄さんやお姉さんがいっぱいいた。年の頃、二十歳そこそこ。「これが大学かー」と思い、胸がわくわくしてきた。

けれど、ぼくはバカではないので、すぐ「自分も大学生だ!」と気づいた。しかもしかも、ぼくはもう卒業間近の四年生なのだ。

あたりまえのことなのに、にわかには信じられない事実だ。こんなに大きいお兄さんやお姉さんが大学にいっぱいいて、そんな中で、ぼくが最高学年だなんて。もう少ししたら、ぼくがそこを卒業してしまうだなんて。

「ぼくは、永遠の中学生なんだ」

そう思った。

すると、そこに現れたのは友だちのよっちゃんだ。大学に行くとぜったいよっちゃんがいる。たぶん、あいつはぼくのストーカーで、予知能力を持ったストーカーなんだ。

「あけましておめでとう」

と、微笑みながら言うよっちゃん。

「おめでとう、あけまして」

と言うぼく。

「なんで逆にするの、清水くん?」

「そりゃ、ぼくは外国語を勉強しているし、ヨーロッパにとても憧れているからね。あいさつも英語式に言うってわけさ。英語ではハッピー・ニューイヤーって言うだろう? まず、ドーンとハッピーであることを言って、それから、なぜならニューイヤーだからだよ、って言うのが欧米風なんだ。こう、はじめに大事なことをドンと主張して、理由は後からくっつけるんだ。アイアムハッピー、ビコーズ、ニューイヤーだから、ってわけさ。それを日本語に応用すると、さっきみたいな挨拶になるわけだよ」

「ふーん。きょうは授業?」

「そうだよ。よっちゃんは?」

「これから友だちとお食事」

「ああ、また女の子を集めてハーレム気分でうはうはタイムかい? いいねぇ。豪奢だねぇ。華奢だねぇ。え、なにを食べるの? 魚? 鳥? それともグラムバーで野菜をたっぷり食べる? ライスは、S? M? Sを2杯? Lの半ライス? それともおかずは食べるけどご飯はなし、っていう華奢な女の子にありがちなパターン?」

「違うよ」

「ところで、実家からワインをもらってきたんだけど、今夜どう?」

「無理。なんで実家からワインをもらってくるなんていうおしゃれなことしてんの? 清水くんのくせに」

「親戚が農家で、ワインもつくってるんだ」

「へぇ」

「あしたか、週末なんかどう?」

「ごめんね。もうずっと、毎晩が飲み会なんだよ。だから行けないの。清水くんに誘われる日は100%の確率でたまたま用事があるの、未来永劫に渡って」

「そっか。必然的な偶然って、あるんだね」

「そうよ。女の子にはよくあることよ」

「じゃ、またね!」

「ばいばい!」

という会話を、まあ、九割以上ウソなんだけど、した。

そんな、初登校の日。

2009/01/08

哲学者

気づいたら、哲学者と呼ばれていた。

ふつう、哲学者になるためにはたいへんな苦労が必要だ。たくさん勉強して、語学が3つ4つできてあたりまえ。長年の研究成果を踏まえて、いい本を書いて、世界中に認められて、ようやく一人前の哲学者になれる。ソクラテスとかデカルトとおなじ職業の人、って認めてもらえる。

けれど、イタリア語の授業でだけは、私は「哲学者」だ、もうすでに。

はじめは、ちょっとした冗談だと思った。

「次の訳は、哲学者」

とイタリア語の先生が言った。それは、私のことだった。振り返ってみても、そこにはプラトンもニーチェもいない。先生の視線はまっすぐ私に突き刺さっていた。私が哲学科の学生で、大学院も行くって話をしたから、そんな呼ばれ方をしたのだ。けど、そんときは、そんときだけだと思った。

あれから数ヶ月、私の名前は「哲学者」で固定されてる。固定されてしまっている。

出席を取るときだけは、さすがに出席簿には本名が記されているから「清水」と呼ばれるのだけど、それ以外は「哲学者」だ。他の学生も、話した事はないけど、たぶん、みんなおれのこと「哲学者」として認識してる。教室に入るとき、「あ、哲学者来た」とか思われてる。

「おーい、哲学者」だなんて、アリストテレスだってハイデガーだって呼ばれてなかっただろう。だって、ふつうそれは二人称には使われない。それは、職業名だ。


それに、ほぼ一日中YOUTUBEでお笑いの動画を漁ってる24歳男性は、ぜったい哲学者ではない。ぜったいにね。

2009/01/07

コラボ日記の予告

なんと、このブログに他人が日記を書いてくれることになった。

いつもは私、清水が日記を書いており、ときどき脳内同居人の岬が代筆する、というスタイルのこのブログだが、こんどは正真正銘、赤の他人が文章を書いてくれるのである。ブログをはじめて約3年、はじめての試みだ。

「コラボ日記」と名づけられたこの企画は、6日後の今月13日に行われる。お互いに「成人の日」というテーマで相手のブログに日記を書くことになる。

「でも、だれとコラボレーションするの?」

そんな心細そうな声が聞こえてくるようだが、安心して欲しい。相手は『画餅にkiss』というブログをやっているあの石戸きい太さんだ。

「え、どの?」

いや、そう聞かれると困っちゃうんだけど、でも、心配ない。きっと彼なら、石戸さんなら、抱腹絶倒のおもしろーい日記を書いてくれるはずだ。有名サイトの運営者たちが裸足で逃げ出しちまうくらいの、ユーモアあふれる日記を、きっときっと、書いてくれるはずだ。

よし、ハードルめっちゃ上げてやった。

2009/01/06

パニックカメラ

ビックカメラでプリンターを買ってきた。

パソコンを買って三年。今更感が滲み出てる、っていうかもう、下着までびちゃびちゃだけれど、プリンターを買った。

京都駅の隣にあるビックカメラ。そこが今回の狩り場。24歳にしてはじめて「ビック」の部分が「BIG」じゃなくて「BIC」だと知った。そのビックカメラの四階へ行った。

そこにはいろんなメーカーのプリンターが、30台ほどあった。私はパソコンの周辺機器には疎いのでかなりの時間悩んだ。スキャナーなどが付いている複合機か、印刷だけの機械かで悩んだが、最終的に小ささと安さで後者を選択。EPSONのPX-101という機種を購入した。

値段が9,000円くらい。ポイントが20%つく。

が、ポイントというものが、私には難解すぎた。

9,000円の20%がポイントになるとすれば、私は1,800ポイントを手中に収めることになる。だが、気になることは盛りだくさんだ。

「ポイントは何に使えるのか?」

まずはこれだ。用途がわからなければ、どうすることもできない。二年前、ドラッグゆたかという店で買物をし続け、ポイントをしこたま貯めて、結局何にも使わずそのままポイントカードを紛失してしまったことがあるが、有効な使用方法がなければ意味がない。

「お客さまにお知らせ致します。当店で10,000ポイント貯めますと、宮崎あおいと一日デートができます」

といったアナウンスもなかった。すべては謎のヴェールに包まれている。なので、私は店員にポイントのことを聞いてみた。すると、ポイントはビックカメラでのみ、日本円とほぼ同様にして使用できるらしかった。

だが、「それならはじめから値段を20%引にしてくれればいいのに」と思った。あと、「電気屋なんか一年に一度くらいしか来ないからポイントカードとかめんどい」とも思った。でも、それを言うと私が資本主義のシステムに慣れてない原始人だと思われそうだったので、口を閉じるしかなかった。

私は、私の中の尾崎豊に睡眠薬を飲ませたのだ。

私はプリンターを買うことで得たポイントを使用し、ドライヤーを買おうと思った。今使ってるのより、大風量のヤツを。だが、信じられないことに、「ポイントは明日以降にしか使えません」と、店員に言われた。

パニックになった。

もう、パニックになるしかなかった。

2009/01/05

迎春

あけましておめでとうございます。

あけるかな、あけないかな、あけるかな、あけないかな、なんて花びらむしってるうちにあけちゃったみたいで、びっくりしてます。いやもう、一時はあけないんじゃないかとまで思ったけれども。

さて、私は年末年始を実家で過ごし、その間まったく日記を書いてなかったので書きたいことが盛りだくさんです。というわけで、おせち料理よろしく、少しずついろいろなことを書いていこうと思います。


運び屋


高速バスで新宿にゆき、そこから電車で北へ北へ。赤羽、大宮、熊谷などを通過して実家最寄りの駅へやってきた。そこで母親の出迎え。無事、実家に戻ることができた。

翌日、私は庭の落ち葉を運んでいた。

祖母が数カ所に集めた山盛りの葉っぱを、一輪車にのせて畑の穴まで運ぶ、という年末恒例行事である。私はデビルが持ってる武器のようなものを使って葉っぱを一輪車にのせ、運んだ。

だが、ひゅーるるるるる、風が吹く。せっかく集めた葉っぱもぱらぱらと舞う。砂利道を、一輪車で運ぶうちにばらばらと落ちる。また、葉っぱが散らかる。かき集める。一輪車にのせる。運ぶ。落ちる。集める。以下、繰り返し。

私は一輪車を押しながら、「こういうギリシャ神話の神がいたなぁ」と思った。たしか、タンタラス、だったか。岩を山の上まで転がしてゆく刑に処せられて、でも、頂上までいくとまたその岩が転がってやり直しになり、それが永遠に続くという、そんな、かわいそうなタンタラスのことが頭に浮かんだ。

しかし、私の落ち葉運びは一時間ほどで終ったのでよかった。ほんとうに、よかった。私がリビングに戻ってテレビをみていると、祖母が庭で落ち葉をかき集めていた。


温泉


「年末年始は実家で過ごし」とさっき書いたが、それは嘘だ。ほんとうは新潟で過ごした。新潟の湯沢というところで。

トンネルを抜けると、雪国だ。積雪数十センチ。私は「雪だ雪だ!」と思った。それから、あるマンションについた。その一室は親戚のおじさんが所有している別荘のような場所で、家族四人で借りることになったのだ。

あまりにもあっさりと年をこし、元旦、私は隣にある温泉に足を運んだ。雪国にだけしかけられている、地面から水が吹き出るミニ・噴水に気をつけながら、雪道を歩いた。

脱衣所にいって、全裸になった。扉を開けて、温泉に入る。私の脳内では即座に天下一武道会の開催を告げる中国のどわーんというドラの音が鳴り響いた。

温泉、あるいは銭湯でのみ発動するこの天下一武道会、ルールはかんたんだ。各選手の

(省略)

というわけで、今大会を制したのも私だった。

出でよ、シェンロン。


テレビ


年末年始のお楽しみは、なんてったってテレビだ。年に一回しか、お正月しか、テレビなんてみられないから。

横山ホットブラザーズ、桂文珍、トミーズ、昭和のいるこいるなんかをみると、お正月だなぁと思う。文珍師匠の「A面B面がなくなったと思ったらCDが出てきた」というギャグが、あいかわらず冴えていた。

私はお笑い番組しかみていなかったが、一つ思ったのは、「髭男爵はもっとキャラを守ってくれ」ということ。いつまででも、貴族の心を忘れないでいて欲しい。からだを張る番組とか、出ちゃだめだ。

それから、テレビには、美男美女がたくさん映ることに気づいた。ふだんは、私は野性を相手にしているハンターである。鋭い目をした、ハンターなのだ。

いつだって獲物は自分で探し、自分で狩る。ひとに出された食いもんにゃ、見向きもしねぇ。アイドル? 女優? へっ! そんな既製品、おれには必要ねぇ! おれのアイドルはおれでみつける! そう思っていた。

が、一人、私のハンターとしての心を揺さぶる人が、テレビ画面にうつされた。

「お母さん、この人だれ?」
「宮崎あおい」

彼女の名は、宮崎あおい、といった。おお、お、おおう‥‥‥。

まさか、こんなかわいい子が現れるとは予想外だった。宮崎あおいは、大学における私的かわいい子ランキング一位に輝くY子と同等か、ひょっとしたらそれ以上の存在だった。

けれど、この頂上決戦を制したのは、Y子であった。宮崎あおいのポテンシャルは計り知れないが、いかんせん、彼女はメディアを通じて与えられた幻想に過ぎない。私は、野性を相手にするハンターだ。いつだって、自分の五感によって獲物を探し、ハントする。画面越しに差し出されたオンナなんざ、所詮絵に描いた餅よ。

さようなら、宮崎あおい。いつか森でお目にかかるその日まで、さようなら。




私には妹が三人いる。大学生が一人と、無職が二人。後者の二人は猫だ。だから、ほんとは妹は一人だ。

妹は年々パワーがアップしている。体重もアップしている。暇なときなどは戯れに妹を片手で押したりするのだが、とうとう押し返されるようになった。動かざること山のごとし。

猫二人は、どちらも複雑な事情を抱えている。

特に下の子は、拾ってきた猫なのだ。これまでは実家で実の子同然に育ててきたのだが、彼女もそろそろ大人だ。ほんとうのことを言うべきときにきているのかもしれない。

私は、思い切って彼女に真実を告げた。

「チビ、実は、お前はもともとこの家の子じゃないんだ。河原に捨てられていたのを、妹が拾ってきたんだよ。だから、ほんとうのお父さんとお母さんは、だれだかわからないんだ。けど、心配しなくていい。今まで通り、おまえはここにいていいんだからね」

チビはこの真相を知って衝撃を受け、「ほんとうの両親に会いに行く」と言って家を飛び出すかと思ったが、予想に反し、彼女はまったく動じなかった。それどころか、喉を撫でたらごろごろいっていた。

チビは想像以上の大物に育っている。将来が実に楽しみだ。


いとこ


年始に、いとこの男の子がやってきた。高校三年生の受験生だ。

実に久しぶりに会った。彼は私のいとこの中では数少ないまともな青年なのだが、久しぶりすぎてびっくりした。めっちゃ声変わりしてる。背が私よりずっと高くなってる。前はちんちくりんだったのに、今じゃ私の方がちんちくりんだ。

彼は私たち家族がリビングでテレビをみているあいだ、別の部屋でずっと勉強をしていた。センター試験がもうすぐなのだそうだ。「受験生はたいへんだなぁ」と思った。

私がリビングでチョコがけラスクを食べながら漫才を見ているとき、彼は別の部屋で受験勉強をしていた。まさに受験シーズン。今が追い込み時である。

私はリビングでテレビをみながら「M-1はNON STYLEが取ったけど、2009年はオードリーの方が売れるかもな」と予想していた。一方同じ頃、彼は別の部屋で(おそらく)英語や社会の勉強をしていた。

私は、「がんばってね」とだけ声をかけた。勉強を教える、という選択肢は、ない。


祖父母


この年になると、祖父母はもう三途の川を渡るか渡らないか、というところまで来ている。母方の祖父はずいぶん前に死に、祖母は生存して私の両親と同居している。逆に、父方の祖母は二年ほど前に死に、祖父は生きている。

三日には、父と妹と私で祖父を訪ねた。

祖父は「一人暮らししとるんか?」と私に訊ねた。私は「はい」と答えた。祖父は「自炊しとるんか?」と私に訊ねた。私は「そこそこしています」と答えた。

もう四年ほど、毎年、このやりとりを繰り返している。それ以外の会話はしたことがない。

祖父には御年玉を頂いた。24歳、男性。まだ御年玉がもらえるなんて、子どもの頃は夢にも思わなかった。

「御年玉、預かっといてあげるよ」

と妹が言った。私は鞄を持っていなかったので、うかつにも自分の御年玉を渡してしまった。この後、取り返すのに一晩かかった。しかも、もしかしたら中身をすり替えられていたかもしれない、という可能性は否めない。

翌日の四日。私は荷物をまとめ、実家を去ろうとしていた。

「次はいつ帰ってくるんだい?」

祖母が私に訊ねた。

「次に帰ってくるのは、おばあちゃんの葬式のときかな」

という言葉が出かかったが、その言葉は飲み込んだ。


地元の友だち


数年前から、私は一度も地元の友人に会っていない。Aくんも、Dちゃんも、Hちゃんも、みんなみんな、過去の人である。

みな、就職、結婚、出産などなど、人生のターニングポイントを迎えているらしいが、それもただの風の噂。 最後に顔を合わせたのはもう三年前か四年前。

もしかしたら、私は彼らのあいだで「縁切り野郎」と呼ばれているかもしれない。あるいは「セルフ村八分」「音沙汰ナシ太郎」とか。

次に彼らに会うのは、葬式のときだろう。


あいさつ


今年もどうぞ、当ブログをよろしくお願いします。

今年はきっと、いいことがあるはずさ。おれにも、そして、みんなにも。うん、ぜったいいいことがあるよ。幸せが雨みたいに降ってくるはず。

いいことが、あるよ。たぶん。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。