2006/11/18

人生ゲーム

友人たちと学食で夕飯を食べたあと、駅までの夜道を一人の女の子といっしょに帰った。もう冬。めっきり寒くなり、十二月も目前である。彼女の頬が、冷たい夜風を受けて、りんごみたいに紅く染まっていた。うわ、女の子と二人で帰れるだなんて、これなんてエロゲ?人生ってエロゲ!と思いつつ紅や黄色の落ち葉に彩られた細い道を歩いていた。

「俺、十二月になるの、嫌だな」
「なんで?」
「だってさ、クリスマス前ってカップルが多くていらいらするじゃん」
「なんでそんなネガティブなの!」
「いやもう、十二月をとばして十一月の次をなんとかして一月にできないかな、って最近考えてるんよね」

今になってみるとあの時の自分は酔ってたとしか考えられないのだけれど、女友達に対して非モテネタを繰り出すという掟破りの話題チョイスを行っていた。

「なんなのその発想はさあ。十二月なかったら困るじゃん」
「いや、十二月さえなければ、誕生日も来なくて二十一歳のままでいられるわけだよ」
「いいじゃん二十二歳になれば」
「でも二十二歳になると彼女いない暦が二十二年目に突入しちゃうんだよねえ」

今になってみるときょう食べた夕食のメニューのどれかにマリファナか何かが混入していたとしか考えられないのだけれど、僕の彼女いない暦をさりげなく暴露するという誰も喜ばない情報のリークを行っていた。そしてその情報の見返りが、

「あはは!二十一年も二十二年も大して変わらないじゃん」

である。いくらびた一文の値打ちさえない情報だとはいえ、どうして君はそんなかわいい笑顔で人の心にナイフを突き立てられるんだい?

嗚呼、苦しき哉人生。それはなんて悲劇イベントの多いゲームなのだろう。もうあれだよ、言っちまえばクソゲーだクソゲー。しかし現在、僕のリアル人生ゲームの連続プレイ時間はどんなゲーマーも裸足で逃げ出す約十九万時間。

その挙げ句にヒロインから嘲笑って、どんなゲームバランスだ。

2006/11/19

夜神月に憧れて

「夜神月みたいになりたい」

土曜日に映画『デスノート』をみた帰りの電車で、僕は主人公の夜神月(やがみらいと)に憧れていた。かっこよくて、頭がよくて、女の子に大人気。彼こそ理想の男そのものではないか。こうしちゃいられない。一人で映画をみにいって、帰りに松屋でディナーなんていう自虐としか思えないマゾヒスティック・ホリデーをエンジョイしている場合ではない。

「僕は、夜神月になる!」

その翌日の日曜日、つまり今日。僕はまず髪の毛を染めた。黒髪なんてだせぇだせぇ。時代はキレイ目ブラウンだ。ということで髪にヘアカラーをブラウン運動ばりの手さばきで塗り込んでやや明るい髪色を手に入れた。

すると、髪色を鏡で確認しつつ気になったのがあまりに太すぎる僕の両眉である。両眉とは「両方の眉毛」と「両津勘吉みたいな眉毛」をかけた冗談なのだけれども、髪がブラウンになったものだから余計に眉毛のボリューム感が自己主張を強めているのである。

「出る杭は打たれる。茂った眉毛は切られる。これ、日本の常識アルね」

僕はおもむろに抽き出しを開けて小さなハサミと手鏡を取り出した。

チョキチョキチョキチョキ。

うむ、おもしろいほどに毛が落ちてゆく。

チョキチョキチョキチョキ。

むしろおもしろいなこれ。

チョキチョキチョキチョキ。

少しムラが出来ているから濃い目のところをもう少し。

チョキチョキチョキチョキ。

鏡を覗くと、そこには二つの焼け野原。

こうなったら眉をそり落としてエルをめざすべきかもしれない。

2006/11/20

降参

なぜか知らないけど、人間て夜になると眠くなる。別に二十四時間起きていればいいものを、毎晩性懲りもなく睡眠を取りたがるのだ。それで僕も頭にダメの二文字が冠されるとはいえ人間なので、昨日の夜も仕方なくベッドの中で眠りについた。

なぜか知らないけど、人間て朝になると起きる。起きねばならない。別に永遠に眠りについてしまっても宇宙の歴史からみれば何の問題もないのだけれど、とりあえず一人の学生という身分であり午前中にドイツ語の授業を受けねばならないちっぽけな存在である僕は目覚ましの音で目を覚ましたわけだ。時計を見たらまだ数十分寝てても大丈夫だったわけだ。寝ぼけ眼で目覚ましの頭に「うっさいわ!」とツッコミを入れて黙らせたわけだ。

気づけばそこは、高級料亭の一室。床は畳で、部屋の一隅にはいかにも高価そうな掛け軸や壺が飾られている。僕は男二人に挟まれて座っている。目の前には和服を纏った三人の美女。

「それでは三番の女性は一番の男性に、次の料理を指定してください」

アナウンサーらしき男性がいう。なんだこれは?テーブルの上には数えきれないほどのご馳走が用意され、僕の胸には二番と書かれたバッジ。

「海鮮丼でお願いします」と、三番の女性。
「いただきます」一番の男がおいしそうに海鮮丼をほおばり、「これはほんとうに大好物なんですよ」

この光景、どこかで見たことがある。だが何かがおかしい。男女三対三でやるものではなかったはずだ。これでは、まるで集団のお見合いではないか。

雅な音楽の中で僕らは食事をし、宴もたけなわになったところでアナウンサーがいう。

「それでは、これだと思うものをお書きください」

どこからともなく用意された色紙に、僕たちはマジックで文字を書いた。

「それでは、全員一斉にお出しください」

恥じらいながら色紙をあげる三人の女性。それに対し、ほとばしる欲望を抑えきれないといった態度で色紙をテーブルの上に置く僕を含めた三人の男。見ると、計六枚の色紙には料理名ではなく、それぞれ気に入った異性の名前が書かれていた。

なんだこれ。様子がおかしいぞ。いったいなんなんだこれは!

「実食!」

そこで目が覚め、気がついたらいつもの自分の部屋。なんだ、夢だったのか。安心したような、も少し続きを見たかったようなアンビバレンツな感情で横を向くと、目覚まし時計が呆れ顔で十一時半を指していた。ドイツ語の授業はあと三十分ほどで終了である。秋学期は無遅刻無欠席で通していたのに、皆勤賞への道もここで閉ざされたわけだ。僕はベッドの中で一人、眠気に向かってつぶやいた。

「参りました」と。

2006/11/22

アイデアの天使

ここ数ヶ月、僕はニートとブロガーの二つを生業としているわけなんだけれども、そうするとブログのアイデアが時と場所をわきまえずに湧いてくることがある。ディスプレイと向かいあったときに必要なだけアイデアが出てくれればこちらサイドとしても大助かりなのだけれど、あっちサイドにも都合があるらしく変な時にアイデアが供給されてきたりする。仮にあっちサイドの人を天使と呼ぶことにしよう。

天使が日中や夕方に出かけた先でぽてっと僕の頭上にアイデアを落としてくれる場合はまだ許容範囲だ。僕としては「おっ、アイデアやん」とか思ってほくそ笑みながら記憶するなり、メモ帳に「夢、食わず嫌い王、山本圭一」と書くなりして知らない通行人に不審な目でちらちら見られるだけで済む。けれど、どうしたって許せないのがあの時。そう、眠りにつく寸前のベッドの中だ。

深い闇の中、一日の疲れを癒そうと夢の中にダイブせんとする正にそんな時に意地悪な天使がアイデアを頭上にぽて、である。俗にいう、寝耳にアイデア、である。

もしそのアイデアを次の日に覚えていれば何も問題はなく、むしろ天使さんありがとうと空に向かって感謝の祈りを捧げ、次に来てくれたときのためにベランダに角砂糖の二三個でも置いとくのだけれど、いかんせん眠る直前の記憶というのは翌朝になるとどうしても思い出せないのだ。

「昨日眠る前にすごくいいアイデアを思いついたはずなのに」

と、翌日の僕は歯ぎしりして悔しがる。手に入れられるはずだったものをみすみす逃したような、圧倒的な喪失感に苛まれ精神は疲弊し発狂直前にまで追い込まれる。アイデアがあったこと自体を忘れていればよかったものを、アイデアがあったということだけ覚えていて肝心の内容がすっかり抜け落ちて内容がないようっていうシベリアばりに寒い冗談みたいな状態になっている。

「これはきっと、天使のいたずらに違いない」

そう確信した僕は、もう天使にからかわれまいと決心し、枕元にメモとペンを用意して眠ることにした。こいつがあれば、いつ天使の野郎が深夜僕の頭上にアイデアの雨霰を降らせようとことごとく書きとめておけるという寸法だ。いつでも、いくらでも、アイデアを落としてくるがよいちょこざいな天使どもよ!

この方法で常に枕元にメモをスタンバらせて眠る日々も数日目、いま正に夢の世界にダイブしようと飛び込み台に立っていた僕の頭に一つのアイデアが舞落ちてきた。

「今だ!」

僕はぱちっと目を開けてメモとペンを引っ掴んでそのアイデアを書いた。電気もつけず、真っ暗で自分の字も確認できない闇の中で一心不乱にそのアイデアを書きとめた。

「やった。天使め、俺は勝ったのだ。このアイデアは絶対になくならない。もうしっかりと書きとめたのだから。明日のブログで存分に使ってやるぞ!あっはっはっはっはっ!」

僕は満足し、勝利の快感に酔いしれながら、どぼんと夢の海の中にダイブするのだった。

翌日、またブログの日記を書こうというときになってふと前の晩にメモを取ったことを思い出す。そうだった、眠る直前にものすごくいいアイデアを思いついてそれを書きとめていたんだった、と。そうしてベッドの横に転がるメモを手に取り、そこに書いてある文字を読む。デスノートをふたたび手に入れたキラよろしくその記憶がぶわっと脳内で蘇ってくる。

「うああああああ!くそつまんねえ!」

アイデアの天使は二重の意味で意地悪だ。

2006/11/30

芸術的な医者

親不知を抜くことを決心した。いや、おやふじではなくて、おやしらずですよ。口のいちばん奥に生えてくる氷山の一角みたいな歯のことです。

だいぶ前から右下の奥の親不知が気になっていたのだけれど、先日鏡を使って見てみたところ、少し虫歯になりはじめたようで、虫歯菌が槍を片手にえっさほいさと鼻歌まじりで歯を削っていた。これはいかん。痛くなる前に抜いてしまわねば。

そういうわけで急いで口腔外科のクリニックに電話して抜歯の予約をしたのだけれど、ここで気にかかるのがそのクリニックの医者がどういう人物かということだ。万が一その医者が芸術家っぽい性格だったらと想像すると恐ろしくて夜も眠れないほどである。

例えば受け付けでこんな対応をされるかもしれない。

「予約していたグレエですけど」
「すみません。本日、先生はスランプのため臨時休診です」

とかね。それで、ときどき奥の方から、「ちがう!俺がつくりたいのはこんなのじゃないんだ!」とかいう叫び声が響いてきて、詰め物が足下に転がってきたりとか。あるいは治療を受けるところまでたどり着けたとしても、

「ごほっごほっ‥‥‥」と医者が苦しそうな表情で咳をし、看護婦が、
「先生、今日は辞めておきましょう。血痰が出ていますよ」
と言う。確かに医者の付けている白いマスクには血の鮮やかな赤があられのように滲んでいる。
「いや、今、やらないと‥‥‥。やれるのは、今しかないんだ」
「辞めてください!そんな肺病を患った体で親不知を抜くなんて無茶です!」
「うるさい!俺にはもう時間がないんだ。最後くらい、好きなようにやらせてくれ‥‥‥」
「先生‥‥‥」涙でうるんだ目で医師を見つめる看護婦。
「頼む‥‥‥」強い想いを秘めた瞳で見つめ返す医師。
「‥‥‥」無言で診察台を降りて帰宅する僕。

芸術的な医者でないことを、心から祈っています。
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