2006/05/17

ヤクザと対決

5ヶ月前に実家に帰ったとき、ちょっとショッキングなことを母から聞きました。

僕「親戚とか知り合いで、俺以外に関西にいった人っていないの?」
母「親戚の○○くんが大阪にいるよ」
僕「へー、大阪で何してるの?」
母「ヤクザになったらしいよ」

いや、シャレにならん。
サラッととんでもないこと言ったよこの母親は。

小さい頃はいっしょに遊んだりしていたのに。このごろほとんど会わなかったとはいえ、あの人が‥‥‥。うん、僕より3つくらい上で、いいお兄さんだったのですけどね。人生って分からないですね。

あと、僕が地元にいたころの友人も一人、その道へ進んでいます。たしかに、中学時代にも問題の多い生徒でしたが、ふたりでしゃべるととてもいいヤツでした。いっしょに遊んだこともあります。高校生になってからも、ときどきは顔をあわせてしゃべったりしていました。不良ではあったけど、まさか本物になってしまうとは‥‥‥。


さて、前置きがシャレにならないですが、きょうは僕がヤクザと命がけでレースをした話。

あれは僕が高校3年のときでした。当時、僕は1年間のコンビニのバイトでお金を稼ぎ、憧れのバイクを買って走り回っていました。もともと知り合いのお兄さんが所有していたバイクだったのですが、ほとんど乗らないでガレージに放置してあったので頼んで売ってもらいました。お兄さんは最初断っていたのですが、僕が粘り強く3回目に彼の家を訪問したときには疲れた顔で「‥‥‥いいよ」と言い、快く売ってくれました。

それはイタリアのバイクメーカーであるアプリリア社のRS50というバイク。原付ではありますが、市販されている50ccでは世界最速を誇る一台でした。

その日の夜も、どこへ行くというあてもなく、街をそのバイクで走っていました。気分はもう尾崎豊ですよ。盗んだバイクで走り出す、行き先も分からぬまま、自由になれた気がした、15の夜♪ そう、僕は風になっていた。学校や家にはもう帰りたくない。ファック・スクール! ファック・ホーム! おれはこいつに乗って、自由という名の目的地へ疾走するんだ。

そんなことを、1年ローンで買ったバイクにまたがりながら考えていました。あと1年、バイトからは逃げられないのに‥‥‥。そんな17の夜です。

ある交差点にさしかかったとき、信号が赤だったんですね。僕の前には車が3台止まっていました。僕はその止まっている車を左側から全部抜かして、いちばん前に行こうと思ったんですよ。すり抜けってやつです。これはバイクに乗ってる人ならだいたいやっていることで、僕もいつもしていましたから、このときもスルスルッと抜かして先頭に行けるはずだったのです。

しかし、1台目を抜かしたあと、つまり、2台目の隣まできたとき、道路の舗装が荒れてたの。よくありますよね、道路の端っこのアスファルトがはげてたりぐにゃぐにゃになってたり。で、そんなところに原付で侵入してしまったものだから、バランスを崩してしまったのです。バランスを崩した僕は、バイクごと右に傾いてしまいました。そして、不幸にも僕と車とのあいだには狭いスペースしかない。体勢を立て直すひまもなく、バイクは車の車体にゴツンッとぶつかった。ヤベッ。

でもまあ、軽くぶつかっただけだし、見たところヘコんだり傷になってるわけでもないから、謝れば許してもらえるかな、と思ったんですよ。最悪、弁償しろとか言われたとしても、たいしたことないだろうし。それで、とりあえずドライバーの人に謝ろうと思って車の方を見たんです。そしたらその車、黒塗りのベンツなのよ。すべての窓ガラスにスモークが貼ってあって、いかにもその道の人が乗ってそうなベンツ。そのベンツの窓がウィーーンと下がってゆく‥‥‥。

僕「あ、すみません。」
ドライバー「ぶつかっといてすみませんで済むかコラーッ!」

ほーらね。

やっぱりそういう人だった。もう、声の迫力が明らかに一般人じゃないです。はじめは素直に謝ろうと思っていた僕ですが、これは相手が悪すぎます。だって、相手は「すみませんで済むか」と言っているのに、どうしたら済むというのか。このままでは殴られるか撃たれるか分かったもんじゃない。ということで、逃げることに決定。

信号待ちしていた残りの1台の軽トラをすり抜け、先頭まできました。そしてすばやくアクセルを回し、全力で加速。さすが原付、車体が軽いだけあって、60kmくらいまではすばらしい加速力です。一方、ベンツは前に1台軽トラがいましたからなかなか追いついてこない。もしかしたら、このまま逃げ切れるかも。

しかし、そう楽観視していたのも束の間、あのベンツ、恐ろしいスピードで前の軽トラを追い越して近づいてくる。僕も80kmくらいは出ていたはずなんだけれども、ミラーに映るベンツはぐんぐん大きくなってくる。あっという間にベンツが僕の右側をかすめるように抜かしていき急ブレーキ。キーーーッという音が静かな夜の空気に響きわたり、路面から白煙が上がる。そして、僕の行く手を塞ぐようにベンツが急停車。あ、僕、死んだかも。

そのとき、自分のバイクは世界最速の原付といえども、所詮は原付だということを思い知らされました。こちらのエンジンは50ccですが、あっちは数千ccですからね、排気量が何十倍も違う。普通に張り合ったら勝てるはずがない。スピードで振り切ることは不可能です。となれば、狭い路地に入って相手をまくしかない。しかし、その辺りの細い道はよく知らなかったんですね。下手にそんな道をスピード出して通ったら事故になるかも知れないし、行き止まりになってしまうかも知れない。

あ、やっぱ死んだかも。

そのとき僕を救ってくれたのが、さっき抜かした軽トラのドライバーでした。この危険な状態を察知して、抜け道を教えてくれたのです。

「この細い道を上がって行けば、またこの道に戻って来れるから」

つまり、いったんその細い道を上がってあのベンツをまいて、また戻ってくればいい、というわけです。そうして、軽トラが先導してくれたので、僕はその後についていきました。ベンツの方は、大きな車体ゆえか、方向転換するのに手間取ったようでなかなか追いついてきません。そうして少し行ったところで一度止まり、さっきの道に戻れる別の道を教えてもらいました。僕がドライバーのお兄さんにお礼を言っていると、後ろから照らされた。うん、ヤツがすぐそこまで来てる。

教えてもらった道を必死で逃げる僕。
それでもしつこく追ってくるベンツ。

その教えてもらった道っていうのがまた狭くて曲がりくねった道で、夜だから怖いのですよ。はじめて走る道だから先がどうなっているか全然分からないし。しかし、スピードを緩めたら追いつかれる。うん、前にも後ろにも、待つのは死のみ。

そんな極限状態で走っていたらまたさっきの道へ戻って来てしまいました。多少引き離したとはいえ、ベンツはまだヘッドライトが見える距離にいる。これ、あんまり意味なかったんじゃないか?

このままさっきの道を走ったとしてもまた追いつかれるのは目に見えていますから、もうここは賭けに出るしかない。いま走って来たのとは別の細い道に入ってゆきました。もうミラーを見る余裕なんてない。無我夢中で逃走する僕。学校や家には帰りたくないって言ったけど、前言撤回。無事に家に帰りたい。

しかし30秒も走らないうちに、目の前に鉄格子が出現。たぶん工場か何かの入り口でした。やっちゃったのよ。見事に行き止まり。グレエ、若干17歳にして死亡か?

なす術もなくその鉄格子の前で呆然としていたのですが、なぜだかあのベンツが来ない。知らない間に差をつけてたのかな、と思ったけれども、気配すら感じない。もし追って来ているなら、ここは一本道で行き止まりですから、すぐに追いつかれるはずなんですが、1分ほど待ってもこないの。どうやら、僕が二度目に細い路地に入った時点で諦めたようでした。ふははっ、ヤクザに勝った!

その日からしばらく、その夜に乗っていた原付に乗るのはやめてボロいスクーターを使っていたこと、そして、逃走劇が行われた道を避けていたことは言うまでもありません。

まあ、あのときは僕にも非があった‥‥‥というか、もともと悪かったのは僕なわけで、あのベンツのドライバーを一方的に悪人ということはできないかも知れません。自分の不注意でぶつけてしまったことに関しては悪かったと思っています。もしかしたら、素直に謝っていたら、許してくれたかもしれません。ヤクザではあっても、親戚のお兄さんや地元の友人のように、実はやさしい心を持った人もいますから。ところで、この前ゴールデンウィークに実家に帰ったとき、母からこんな話を聞きました。

「○○くん(地元の友人)、このまえ車で事故起こして、自分の一時不停止が原因だったのに相手の運転手を殴ったんだって。それで警察に連れていかれたらしいよ」

やっぱり逃げてよかった。

2006/05/29

きみと食事を

アヤは、僕とおなじ授業を受けている女の子。これまでほとんど話したことはなかったけれど、ついにきょう、ちょっとだけ彼女との距離を縮めることができた。

ある教室でのこと。彼女を目の前にして、心臓の鼓動が高まる。心の準備はできていたつもりだけれど、緊張で顔がこわばっているのが分かる。でも、ここで言わないと‥‥‥。意を決し、僕は隣の席のアヤに話しかけた。

僕「きょうの夜、何か用事ある?」
アヤ「ううん、ないよ。なんで?」
僕「よかったら今晩、いっしょに夕飯食べにいかない?」
アヤ「うん、いいよ!じゃあ何時にする?」
僕「7時がいいかな」
アヤ「ごめんなさい。7時はちょっと都合がわるいの。8時はどう?」
僕「うん、大丈夫だよ」
アヤ「何たべようか?」
僕「和食はどう?」
アヤ「う〜ん、実はきのうも和食だったんだ。わたしはイタリアンがいいなぁ。ピザがたべたい」
僕「いいね。じゃあイタリアンにしよう!きょうはおれのおごりだよ」
アヤ「ほんとに!?うれしい!」
僕「じゃあまたあとで」
アヤ「うん。またね!」

ああ、こんなにうまくいくなんて嘘みたいだ。夢なら覚めないで欲しい‥‥‥。


以上、ドイツ語の授業でやった会話の試験を日本語にしてみました。

2006/06/21

ピザ屋

先日、あまりに日差しの強い日が続くので帽子を買いにいってきました。近くの洋服屋まで愛車の原付を時速50kmでぶっとばして行ったんですが、やはり夏に原付で風を切って走るのはなんとも気持ちがよいものです。あの素手でグリップをひねる感覚、はためくTシャツ。また今年も夏がきたんだなって実感できます。

街をひとり、目的のお店まで走っていったのですが、黄色いポロシャツを着てピザの宅配をする原付を見て、ふと去年の夏を思い出しました。何を隠そう、僕も去年の夏から秋にかけてピザ屋でアルバイトをしていたことがあるのです。

ピザ屋がポストに入れていったチラシに「アルバイト募集」という文字を見つけたのがはじまりでした。去年は大学に入学したてで原付も持っておらず、走り屋の血が騒いで仕方なかった。もうバイクに乗りたくて仕方がない。風を感じたい。ウインカーとか出したいし、すり抜けとかもしたい。そんな禁断症状が出ていたときだったので僕はすぐにそのピザ屋に電話しました。時給は750円とかいうなめ腐ったものでしたが、バイクに乗れるならなんでもいい、とにかくバイクの乗せてくれ、という気分だった。

それで履歴書を書いて自転車でそのピザ屋に面接にいったんですが、なんか言われた場所にいってみると別の名前のピザ屋があるの。うん、明らかに店名が違う。しかも、道から店内をのぞいてみると東南アジア系(たぶんインドネシア)の若い男がひとりで働いている。どうしたものかと思ってもう少し周辺を見て回ったんだけど、そこしかピザ屋はなかったので仕方なくインドネシア人のいる店に入ってみました。

「すみませーん」
「ん? ああ、面接の人か。入って入って」

ここでいいのかよ。なんで看板の名前が違うんだ。おかしいんじゃないか。っていうか、それ以上にインドネシア人が流暢に日本語しゃべったのにはびっくりした。しかもその人が店長で、そもそもふつうに日本人らしい。

それから店の調理場の奥のスラム街のごとき休憩所で日本語で面接をしたんですが、そのインドネシア風の店長が日本語でさりげなくこう言い放った。

「時給は700円からやから」

いや、750円って書いてあるじゃないか。750円ですら足下見られてると思ったのに700円て。あのとき僕は殺意すら覚えた。厨房にあるチーズとかぶちまけてやろうかと本気で考えた。大学生になってまで700円はないだろ。

でもまあ、僕の住んでいる場所はバイトできるところも少なく、またバイクに乗りたいという抑えがたい衝動もありましたのでしぶしぶそのインドネシア風の店長のもとで働き始めることに。

ピザ屋の仕事というのは基本的に調理と宅配のふたつに分けられます。すべての店員が状況に応じてどちらもやるのですが、新入りの場合はまず宅配を中心に行う。ピザに飢えた客の電話注文を受け、地図で家の場所を確認し原付で届けるわけです。

うん、やっぱり原付はいい。たとえ仕事とはいえ、青空の下を走るのは気持ちのよいものです。まるで風になったような気分だ。時給は700円だけど。

その仕事、基本的には楽な仕事なんですが、たまにイラッとくることがある。たぶん、これは宅配という仕事のみが持つ欠点でしょう。

ピンポーン。

「お待たせしました〜、○○ピザです」
「はぁい、今開けま〜す」

インターホン越しに女性の声が聞こえてくる。うん、この声は明らかに麗しき女性の声。もう、声からしてかわいい。なんか、仕事できただけなのに変な妄想とかしちゃう。あらぬ期待とかしちゃう。

ガチャッ。

きた。声だけかわいくて顔はアレとかいうベタなオチはなかった。もう100人に聞いたら100人ともかわいいと答えるような女性。変な妄想とかしちゃいそう。この人もおそらく僕とおなじ大学の学生だろうから、授業でたまたま顔を合わせて、「あの、どこかでお会いしたことありませんでしたか?」「え、そうでしたか?」みたいな。「付き合ってください」「はい喜んで」みたいな。

「いくらですか?」
「ヘヘ‥‥‥。あっ、1350円です」
「う〜んと‥‥‥あっ、50円玉がない」

いやいや、別に千円札2枚でもかまわないですよお嬢さん。などと思ってると、突然部屋の方をふりかえってこう言った。

「ねーマーくん!50円玉持ってない?」
「あ、あるよ。ちょっと待って」

そんで部屋の奥でテレビでも見ていたのであろうマーくんが50円持って玄関の方まで来んのよ。

「ほい」
「ありがとっ(ハート)」

ピザごと死ね。

そんな地獄のような出来事が週に3回くらいありました。ほんと、カップルでピザを注文してはならないっていう法律を作ってほしい。そういう公約を掲げた党があったら他の憲法九条とか年金とか関係なく、それだけで投票するね。

そのバイト、しばらくは順調に続けていたのですが、だんだん秋も深まるに連れて寒くなってくるのですよ。夏のあいだこそスロットル全快で風を切りハングオンでギリギリのコーナリングとかして気持ちよく働いていたわけですが、10月とかなってくると夜とか寒くて死にそうになる。考えてもみてください。ふつうに外にいるだけでさえ寒い秋の夜に原付で宅配。仕事というより拷問に近い。しかも時給が700円だからな。あのインドネシア人もピザごと死ね、と言いたいところだけどその前にこっちが寒さで死にそうだ。

ある雨の日の夜のこと。僕はカッパを着ていつものように宅配に向かいました。ただでさえ寒いのに雨が降っていて余計に寒い。仕事というより拷問そのもの。バイトをはじめたときは原付に乗りたくて仕方なかったのに、今となっては1万円やると言われても乗りたくないような状態。なのに時給700円でその日も宅配。

まじで耳とか凍っちゃうんじゃないかと思いながら目的の家に到着。びしょぬれの手袋をはずし、インターホンを押します。

「はーい、ちょっと待ってくださいねー」

すぐにその家の奥さんらしき人が出てきてドアが開く。家の玄関のなかにすこし入ると、そこには暖かい家庭の空気が。一人暮らしで寂しい生活をしている僕にとって、そのありふれた家庭が天国のようにすら見える。

「お待たせしました。2500円です」
「はい。じゃあ2500円ちょうどで」
「ありがとうございました」
「ご苦労様でした」

僕に暖かい言葉をかけてピザをリビングに持って去ってゆく奥さん。リビングの方で「ピザピザー!」とはしゃぐ元気な子どもたち。ふたたび冷たい雨の降る闇夜に放り出された僕。この頬を伝わる液体は雨さ、雨に決まってる。でもなんでだろう? 心なしか、きょうの雨はすこし生暖かいよ‥‥‥。

ってことで、本格的に冬になる前にピザ屋を辞めることを決意。こんな仕事やってられっか。真冬の夜に原付で何時間も走ったらまじで死んじまう。っていうか、それでも時給700円とかありえない。

辞めたい辞めたいと思っていたら神の計らいのごとくバイトを続けられない理由ができまして、チャンスだといわんばかりにインドネア人っぽい店長にそのことを伝えました。まあ、やってられねーとか思っていたわけですけど、数ヶ月間お世話になったわけですから、多少寂しい気分もありました。そしたら、店長、こう言った。

「実はおれもこの店辞めようと思ってんだよ。もともと好きでやってる仕事じゃないし」

店長、まさかの「辞めたい」発言。

「もう社長に辞めるとは言ってあるんだけど、人手が足りないからまだしばらくはやってくれって言われててさ」

店長もどうやらしぶしぶやっていたらしい。いつもはインドネシア人みたいな顔してイタリア人のごとき手さばきで生地をこねて、円形にのばしチーズをのせてピザを焼いているというのに、人の内面はわからないものだ。

そうして冬直前に僕はそのピザ屋をやめたのでした。もう部屋のなかのカップルを見て寂しい気分になることもない。

宅配のため原付を走らせる同い年くらいの青年をみて、そんな青春の1ページを思い出していたのですが、暖かくなったためか二人乗りでツーリングに興じるカップルがやたらに目につく。うしろの女が運転してる男にがっしりしがみついてたりする。そんなやつらが、一人で原付にまたがる僕を颯爽を抜きさっていったりする。この頬を伝わる液体は汗さ、汗に決まってる。でもなんでだろう? 心なしか、その日の汗はやけにしょっぱかった。

2006/06/27

優のこと

優との出会いも、こんな梅雨の季節だった。

3年前、高校を卒業して地元で浪人生活をしていた僕の元に、役場に勤める親戚からアルバイトをしてくれないかという依頼が来た。予備校にも通っていなかった僕は、1ヶ月限定の町役場でのその仕事を引き受けることにした。

はじめての勤務の日、役場の待合室で仕事内容の説明を受けるために待たされていると、そこにもう一人のアルバイトの女性が入ってきた。「はじめまして」と挨拶して、簡単に自己紹介したり世間話をしたりしていたのだけれど、女の人と話すのに慣れていない僕は、役場の職員が部屋にくるまでのあいだ緊張しっぱなしだった。

しかし優と親しくしゃべれるようになるのに、それほど時間はかからなかった。それからは週に5日程度、役場での仕事がはじまった。まずは役場にある倉庫の備品チェックと、投票に必要な道具の準備。僕と優は梅雨のじめじめした空気のなか、冷房もない倉庫で汗だくになりながら投票箱や南京錠の個数を数えたりした。ときどき職員が様子を見にくるのだけれど、基本的にはずっと僕と優ふたりきり。自然、たくさんの会話が生まれる。

「大学生なんですか?」
「いえ、いま浪人中なんですよ。優さんは社会人ですよね?」
「うん、小学校で非常勤の先生やってるの」

彼女は一見高校生のように見えたけれど、当時の僕より7つも年上の25歳、夏のあいだだけ役場でのアルバイトをしているということだった。短大の英文科を出てから職場をいくつか変わっているらしく、その頃は公務員試験を受けるためにアルバイトをしながら勉強中だった。

投票のための準備が終わり、会場ができあがると不在者投票の受付が開始されるのだけれど、僕の地元は人口も少ない小さな町だったのではじめの2日間は投票に訪れる人が一人もおらず、3日目4日目になっても投票者は一桁しか来なかった。僕と優はふたりで受付に座ってただ待っているのだけれど、仕事がないから話ばかりしていた。

高校生卒業まで女の子と話すことさえほとんどなかった僕には、彼女とのなんでもない会話が楽しくて仕方なかった。優は中学生のころニュージーランドに留学していて、そこの景色が広大で感動した話、以前JALで働いていたころ、バスで出勤中にピンボールみたいな大きさの雹が降ってきて驚いた話、あるいは自動車教習の話や宇宙人がいるかいないかなど、一日中時間を持て余していた僕たちはとめどないおしゃべりに夢中になっていた。投票の受付場所はやはり冷房もないような蒸し暑いところだったけれど、きょうも優に会えるのだと思うと、仕事の日は朝から胸が高鳴ったものだった。

仕事がはじまって2週間ほど経つと、僕と優はすっかり打ち解けて、僕は彼女を名字ではなく優さんと呼ぶようになり、彼女も僕を下の名前で呼ぶようになった。ある日、いつものように額に汗を光らせながら投票所に現れ、笑顔で「おはよう」という優をみて、僕は彼女のことを好きになっている自分に気づいた。

外はかんかん照りの真夏日だったその日、蝉の鳴き声をバックにぽつぽつと投票所に現れる人の受付をしながら、僕たちは飽きることもなくおしゃべりに興じていた。そのとき、優が、公務員試験で出題される数学が難しくてわからないといっていたので、僕はふざけ半分で家庭教師をしてあげましょうかと言ってみた。いや、家庭教師なんてのは口実で、僕はプライベートでも優と親しくなりたかっただけなのだけれど。すると、予想に反し、優は喜んでくれて、次の日曜日に彼女の家にいけることになった。思えばこの頃から、優も僕に好意を持っていてくれたのかもしれない。

約束の日曜日、うだるような熱さの中、僕は教えられた優の家まで自転車をこいでいった。2つ上の姉は東京で一人暮らしをしているとのことで、優は両親と3人で暮らしていた。よく手入れされた小さな庭を抜け、「こんにちは」といって玄関を開けると、いつもよりラフなTシャツ姿の優が階段を降りてきて出迎えてくれて、部屋に招かれた。数学を教える、というのが目的だったはずなのに、結局僕たちは雑談してばかりでちっとも勉強は進まなかった。けれど、その日以来、僕たちの仲は急接近していった。

「ねぇ、明日プールにいかない?」

僕が彼女の部屋にいって3度目のときだったろうか、カルピスを飲み終えた優がそう言った。僕はもう、自分が浪人生であることなんて忘れていて、喜んで「いく」と答えた。コップのなかの氷が溶けて、カランと音をたてた。

次の日、ふたりして自転車で地元のプールにいった。町営だったそのプールは50メートルのプールが一つあるだけの味気ないもので、僕たちの他に客は10人もいないくらいだった。着替えを終え、女子更衣室から太陽の照りつけるプールサイドに姿をあらわした水着姿の優は、いつにも増してきれいだった。役場でのバイトと試験勉強ばかりで室内にこもりきりだった僕と優は、50メートルのプールで思い切り泳いで、思い切り日焼けした。

その日の営業が終わるまで泳いで疲れきった僕たちは、自転車を押して歩きながらプールをあとにした。やや日も暮れて少し涼しくなり、頬をなでる風が心地いい。しばらくして、優の家の前まできた。

「きょうは楽しかったね」

と僕がいうと、彼女も笑顔でこたえる。

「だいぶ焼けたね。わたしたち、受験生なのに」
「また遊びに行こうよ」
「うん」

近くに田んぼでもあるのだろうか、カエルの鳴き声が聞こえてくる。カエルの鳴き声だけが。優が「うん」と言ってから、僕たちの時間は止まってしまった。このまま優と別れてしまうのが寂しくて、さよならの一言が出てこなかった。優は、ふしぎそうな顔をして僕を見つめている。僕は抑えきれない感情にうながされるまま、彼女の唇に自分の唇を重ねた。永遠とさえ思えるようなキスのあと、僕は「またね」と言って家に帰った。自転車で通り過ぎるその日の夕暮れの街は、いつもとは少し違って見えた。

7月も半ばにさしかかった頃、役場でのアルバイトも終わって、優と仕事の上で会うことはなくなった。しかし週に1度は必ず僕が彼女の家にいって勉強を教え合うか、ふたりでどこかに出かけるようになり、交際は順調に続いていった。優は秋の公務員試験に晴れて合格し、ふたりがバイトをしていた役場で正式に働けることになった。

優との交際はうまくいっていたのだけれど、僕は自分の勉強がおろそかになっていることに危機感を抱き始めていた。女の子とつきあうなんてはじめての経験で、僕には優のことしか見えなくなっていた。自室で英語の長文を読みながらも、頭は優のことでいっぱいで、英語なんて頭に入ってこない。彼女の部屋で英語を教えてもらったとき、優が僕の参考書にすみにいたずらで書き込んだ変なクマの絵ばかり目に入ってきた。

冬、センター試験まであと1ヶ月となったとき、僕はとうとう優にきりだした。

「受験までもう少しだから、ぜんぶ終わるまで、しばらく勉強に集中したいんだ」
「うん、その方がいいよ。がんばってね、応援してるから」

彼女の笑顔を見るのは、その日がさいごになった。

センター試験を皮切りに、受験の季節がはじまった。あの日以来、優と直接会うのはやめて勉強に集中したのだけれど、どう考えても遅かった。夏から秋にかけての遅れは取り戻せるはずもなく、どこの大学の試験でも苦戦を強いられた。センターでは失敗し国立大学を断念。私立に望みをかけ、東京の大学を5つ受験したがどれも自信があるとは言えない出来だった。受ける大学受ける大学、次々に不合格となり、いよいよ3月中旬、さいごの合格発表の日、掲示板の数字の羅列のなかに、僕の受験番号はなかった。

夜、優に結果報告の電話をする約束になっていたのに、発信のボタンが押せなかった。ケータイを放り投げて、ベッドで仰向けになった。

(おれはこの半年、何をやってきたんだろう? 優に夢中になってばかりで、勉強が手に着かなかった。優になんて言えばいい?)

からっぽの心で天井を見つめていると、耳元のケータイに着信があった。画面を開いてみると、そこには優の名前。心の準備ができないまま電話に出た。

「もしもし、きょうの結果どうだったの?」
「だめだった」
「そうか。残念だったね」

彼女の悲しそうな声が胸に突き刺さる。

「ごめん、こっちから電話するって言ったのに」
「ううん、いいよそんなこと」

どうして優はこんなにやさしいんだろう? 僕は優に夢中になっててどこにも合格できなかったようなだめな男なのに。僕なんかが優といっしょにいていいんだろうか? 僕は優にふさわしくない人間なんじゃないか? そんな疑問がふつふつと湧いてきた。

「ねぇ、優」
「なに?」
「おれたち、もう終わりにしようか?」
「えっ」
「このままじゃおれ、どんどんだめになっていく気がする。優のことはすごく好きで、ずっといっしょにいたいって思ってる。でも‥‥‥」
「わかった。もういい」

これが、優とのさいごの会話になった。あまりにもあっけなくて、あまりにも悲しい別れ方。明け方になり、空が白んでくるまで、涙が止まらなかった。

4月、僕は実家を出て予備校の寮に入ることにした。優との思い出が詰まった地元にいるのは、正直苦痛だった。田舎を絵に描いたような故郷を離れ、都会で新しいスタートを切った僕。寮の仲間と生活をともにし、僕は生まれ変わったかのように勉強に打ち込んだ。まるで優のことを忘れようとするかのように。

あっという間に一年が過ぎ、ふたたび受験の季節。今度は東京の大学は一切受験せず、関西に行くことを決めていた。これも、なるべく優から離れたかったからだ。遠く離れた土地にいき、人生をリセットしてやり直したかった。受験の結果、一年の努力が報われ、京都の私立大学に合格。関東の地元から400キロ以上離れたこの地で新しい生活がはじまった。

京都に来てから1年と3ヶ月、大学での勉強も充実しているし、友人もたくさんできた。望み通り、新しい人生を歩みだしたのだ。けれど、ときどき、優のことを思い出してしまう。考えてみると、僕が優に「好き」といったのは、あのさいごの電話のときだけだった。さいごのさいご、別れ際に言っただけだった。

もっともっと、僕の気持ちを伝えておけばよかった。
もっともっと、口に出して、愛してるって伝えればよかった。

FINE



この雑記は妄想であり、実在の人物、団体とはほとんど関係ありません。

2006/07/06

彼女いない暦

意外に思われるかもしれないけど、僕には彼女がいない。

二三人しかいない、というのではなく、一人としていないのだ。せっかく苦しい受験戦争を生き延び、自由な大学生活を謳歌すべき年齢で、恋人が一人もいないというのは寂しいものがある。せめて一人でいいから欲しい。

しかし勘違いしないで頂きたいのは、僕の彼女いない暦は、年齢とイコールではないということです。そこだけは誤解しないで欲しい。そこらのモテない男といっしょにしてもらっては困る。僕は生まれる前から彼女がいなかったのだから、僕の彼女いない暦は宇宙の年齢とおなじはずなのです。現在の宇宙研究の成果で、宇宙創世から現在まで、だいたい160億年くらいらしいから、僕の彼女いない暦もまた160億年だということになる。どうだ、すごいだろう。すごく空しいだろう。

それにしても、160億年も僕のような男に誰も寄ってこないというのは奇妙です。ブログを読んでいる人は分からないだろうけれど、僕の顔は木村拓哉と比べてもなんら遜色ないほどなのですよ。目は二つついているし、口も一つだし、指の本数なんてまったくおなじ。おそらく世の中のほとんどの女性から見て、僕と木村拓哉のあいだにはなんらの違いもないに違いない。ただし、世の中のほとんどの女性というのは昆虫や動物も含むのだけれど。

美男子といえば木村拓哉、という発想しか出てこない寂しい僕なのだけれども、一昨日、見ず知らずの女の子から告白されるという驚くべき事件が発生しました。

火曜日、僕は毎週そうしているように、一人で遠い方のキャンパスまで授業を受けに行ってきました。一限ニ限とプログラムの授業を受け、お昼。そちらのキャンパスでは友人がいないので、一人で学食で食事をすることにしました。

選んだメニューはツナ冷麺と大学イモ。やはり外は暑いですから、氷の入った冷麺はひんやりしていていい感じ。それだけでもよかったのですが、少し甘いものを食べたかったので大学イモも食べることにしました。大学の学食だけに大学イモ。あれ、おもしろくない?

それで、席について食べていたのですが、だんだん学食が混んできましてね、ある女の子三人組が席を探してうろうろしていたのですよ。しかしゆったり三人で座れるようなスペースはもうありません。すると彼女らがこちらへ近づいてきて、なんと僕の前に横一列に座ったんですよ。端っこの人が僕の真ん前で、他の二人がだんご三兄弟の次男と三男みたいな感じ。別の表現をすると、テトリスのいちばん無難なパーツみたいな形になった。

「何食べようかぁ?」
「とりあえず並んでから考えよ。混んできたし」

そんな何気ない会話をしているわけですが、端っこのだんご三兄弟の長男はあきらかに僕に気があるわけですよ。初対面で真っ正面に座るってことはもう、それだけで半年以上の友達関係を経てきたのとおなじですからね、たぶん。

それから数分経ち、三人が食事を持って帰ってきました。で、真正面の女の子のトレーにのっていたものをみてびっくりしました。なんか、ツナ冷麺と大学イモがのってた。ツナ冷麺と大学イモですよ。これはもう、意識的に僕とおなじメニューにしたとしか考えられない。

偶然にしてはあまりに低い確率です。ツナ冷麺を選ぶ確率が10%で、大学イモを選ぶ確率が10%で、その他には何も選ばない確率が10%だとすると、その確率はわずか1000分の1ですからね。これはもう告白と捉えていいでしょう。しかも、よくよく考えてみると、このメニューには「大学で出会った私たち、冷たい世の中を手をツナいで渡ってゆきましょう」というコードが隠されていることに気づきました(なんだってーっ!?)。

しかし、僕は、敢えて断ったのです。沈黙をもって、断りました。彼女の積極的な気持ちは実に嬉しかったのですが、もしそこでOKしてしまうと、他の二人の女性に対して恥をかかせることになるし、告白してきた子が妬みを買っていじめられる可能性もありますからね。心を鬼にして断りました。なんてやさしいんだ自分。こうして、僕はまた彼女いない暦を更新し続けることになったのです。

なんか、書いててすごく空しくなってきたのですが、改めて考えてみると、恋人がいるということがほんとうに幸福なのかどうか、疑問も残るわけです。おそらく恋人がいることによって被る被害というか不自由というのも相当なものでしょう。それを考えたら、彼女なんていない方がいいのかもしれない。彼女がいたら時間的に拘束されるだろうし、いつ嫌われるかという不安も抱くことになるでしょう。デートをしたらお金もかかるし、何時間もショッピングに付き合わされるかもしれない。たまの休日には映画をみにいって、手をつないで街を歩いて、喫茶店で何時間もおしゃべりをして、大学では隣の席にすわって授業をうけ、用事もないのにメール交換をしたりお互いの部屋に遊びに行ったり‥‥‥。あー、彼女欲しいなぁ。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。