2008/05/29

逆懐郷病

どうもこの頃、集中力がない。こうやってついついパソコンに向ってしまうのが何よりの証拠である。

これはきっと、五月病なんだと思う。五月というのは、人の心が不安定になるんだ。そうに違いない。それはなにも新しい環境に入った人がストレスや不安でそうなるというだけではなく、もっとこう、人間のバイオリズムに関わる部分がおかしくなるんだ。だから、二つの液体を混ぜたりする人が増えるんだ。

五月といえば、五月とメイがお父さんといっしょに田舎に引っ越し、あのかわいい怪物に出会った季節。きっと、彼女たちも心が不安定になったから、あんなふしぎな世界に入り込むことができたんだろう。きっとそうに違いない。

しかし、幸いにもあと数日でこの魔の月が終る。一安心である。そしたら、このメランコリックな気分も消え去り、ぼくの部屋のトトロも出て行ってくれるだろう。ただでさえ狭い部屋にこんなやつがいつまでも居座っていたのではめいわくで仕方がない。

けれど、できればムーミンにはいつまでも居て欲しいものである。彼は人当たりのいい性格で、むかしから、ぼくと気が合うようなのだ。たった一ヶ月弱で、ぼくらはむかしのように打ち解け合った。三年と少し前にぼくは流浪の生活をやめて大学に入り、それ以来、スナフキンという名を捨ててしまったのだが、彼だけはぼくをむかしのままにスナフキンと呼んでくれる。

友がぼくを呼ぶ懐かしい声に、在りし日の流浪の日々の記憶が蘇ってくる。あの頃ぼくは自由だった。街から街へ、人から人へ、山や川を越えてとどまることなく歩き続けていた。太陽と、雲と、草花がともだちだった。

エアフルトの宿で出会った娘は、今頃どうしているだろう? モディリアニの描く婦人のように神秘的な雰囲気をもった少女だった。ぼくらが教会にいったあと、丘の上で草笛を吹いていたら、ぼくの知らない男の子が彼女を呼びにきたけれど、いまではあの男の子と結婚しているのだろうか? こうやってむかしを懐かしんでいると、子どもを何人か生んで、たくましい腕でフライパンをもつ母親となった彼女を見てみたいような気持ちに駆られる。

ヨーロッパではいくつかの街で魔女や魔女の見習いにも出会った。何度かぼくも魔法を使いたいと思って教えて欲しいと頼んだけれど、やはり魔女の血をひく女性でないと無理らしく、ぼくはがっかりしたものだった。

五月になると、そんな出会いのつまった流浪の生活に、もう一度戻ってみたいなんて、思ってしまう。


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この記事へのコメント
五月病のメランコリックな文章はいいですね。こちらは五月病をポジティブに考えて見ました。URLをご紹介させて戴きました。
Posted by サツキ at 2008年05月29日 18:37
あ、あのサツキさん? なわけないですよね。

ぼくは毎年この時期になると憂鬱になっている気がします。それでも、しばらくすると治るのでブーブー言いつつ我慢しているという状態です。講義の疲れが溜まってくる時期でもあるのでしょうね。
Posted by 清水 at 2008年05月29日 23:46
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