2009/01/25

恋愛論考(1)

今日は我ながら驚くような発見をしてしまった。

これだけ「わかった!」と叫びたくなる大発見は久しぶりである。

私は夕方頃、某ネッ友とチャットをしていたのだけれど、そのとき、2歳年下のその友人からこんなことを言われたのだ。

「清水さん、そんなこと言いながらモテるんじゃないですか?」

と。お互いにモテませんねぇ、という話の流れでのこの一言である。だから、私は言ってやった。

「いえ、なにかのバグかってくらいモテませんよ」

と。

このとき、私に真理の女神が微笑んだ。

そう、これはバグだったのである。人生が神というプログラマーのつくったゲームだとすれば、私はプログラムされた被造物である。その私に、ほんの少しのバグが、システム上の不具合が含まれているのである。神の手違いで。

それしか考えられない。

っていうか、そう考えると、24年間のつじつまが、すべて合ってしまうのである。

しかも、このチャットでわかったのはそれだけではない。話の流れの中で、具体的にどんなバグであるのかまで明らかになってきた。三人寄れば文殊の知恵。いや、二人だったけど、文殊的な知恵が生まれたのだ。

つまり、こういうことだ。

私という被造物のプログラミングの際、神はカップルと漫才コンビを逆に設定しちゃったんじゃないか、ということだ。

わかるだろうか?

「つきあう」という行動と「漫才をする」という行動とを逆にプログラミングしてしまった、ということだ。私が女性とつきあおうとすると、相手の側では受け取り方が違ってしまうのである。バグがあるから、そこんとこでズレが発生する。

「表象が認識を規定するのではなく、認識が表象を規定するのだ」

といったのはドイツを代表する哲学者のカントだが、私の中の先天的なカテゴリー的なもんが狂っちまってるのだ。バグってて、あべこべになっているのだ。だから、恋人ができないのである。なぜなら、相手にとってそれは、相方探しとして認識されてしまうのでからっ!!

ハァハァ‥‥‥。申し訳ない。あまりの大発見に、日記だというのに噛んでしまった。ひっひっふー。ひっひっふー。落着こう。


たとえば、私がこう言うとする。

「きみが好き。つきあって」

と。すると、バグによって変換されて、相手の女の子にはこう聞こえる。

「ジブン、おもろいな。漫才やろや」

と。

すると、たいていの女の子は漫才をやろうという気はないだろうから、断るのである。

「ごめん。漫才なんかできないよ」

これがまたしても変換により、私の耳には

「ごめん。清水くんとはつきあえないよ」

になるという寸法だ。

なんという理不尽だろう。そして、滑稽な話なんだろう。私は過去ずっと、好きな子に告白してるつもりで、実際には漫才の相方探しをしてたことになるんだから。

ああ、通りで、いつも失敗するはずである。


けれど、もう気づいた。このトリックに、気づいてしまった。ゲームにおけるバグが不具合を生じさせつつも、利用の仕方によってはデメリットを回避できるように、この私のバグも、仕組みがわかったからにはなんとかなるはずである。

そう、漫才の相方を探せばいいのである!

私は、こう言えばいい。

「ジブン、センスあるなぁ。おれと組んで漫才やらへん?」

すると、このことばはこんなふうに変換されるはずだ。

「きみはなんて魅力的なんだろう。ぼくと付き合ってくれないか?」

これでようやく、私は好きな子に、ほんとの意味で、告白ができるというわけだ。そしたら恋人も出来放題だ。なんてすばらしい現実なんだろう。

私はこれから、この方法を実践していきたい。ずっと漫才コンビという意識でつきあっていって、最後はこう言うのだ。

「おれと、M-1めざそうぜ!」(訳:結婚しよう!)


結婚式当日、私と新婦はあの音楽にのって登場する。

ガンガンガンガンガンガンガンガンガーンッ!!!

「はいどーもー、新郎新婦でーす!」

「きょうは私らの結婚式に来てくれてありがとうございますぅ。あれ? ウェディングケーキはモンブランでお願いしとったはずやけど」

「そんなウェディングケーキみたことないわ!」バシ

みたいな式にしたい。


えっと、なんの話だったっけ?
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。