2008/09/15

おっぱいについてのレポート

私はときどき、おっぱいについて考える。

おっぱい。それは神秘的な二つの膨らみだ。

私はある人を男性か女性か判断する場合、まずおっぱいがあるかどうかを確認することにしている。たいてい、おっぱいがあれば女性である。これほどに分かりやすい判断基準は他にない。

だが、なぜ女性の胸は膨らんでいるのか。これは大きな疑問である。今世紀までついに解かれ得なかった、人類が抱える大問題である。

これについて、私は数年前、わらび餅説に傾いたことがあった。そう、あの胸の二つの膨らみはわらび餅なのではないか、というものだ。女性は甘いものが好きである。きっと、常時甘いものを携帯していたいに違いない。そこで、胸の部分にわらび餅ケースを仕込み、男性に分からぬようにそこにたくさんのわらび餅を入れているのではないか、という説である。

この説をおっぱい学会(年に二度、フライブルクで開催される)で発表したところ、一時は大方の研究者の賛同をいただいて定説になりかけたのであるが、一年後に大福説が出て廃れてしまった。(なお、大福説はその後「弾力性に欠けるのではないか」という理由で却下された)

このように、日々学問的におっぱいについての考察を深めている私であるが、先日、新しい説が閃いた。それはちょうど、友達と草むらでバッタを捕まえているときであった。目の前の道を通り過ぎる、期待に充ちた表情の少女を見て気づいたのである。

(わくわく度数だ!)

これまで、学会の基本的な立場として、おっぱいには何かものが入っているという外部膨張説が前提とされていたのだが、私のこの発想はそれを根本から揺るがす説である。かつて考えられ、その後却下された、胸そのものが膨らんでいるとする内部膨張説の復活である。

すなわち、おっぱいとは、わくわくと期待に胸を膨らませたために生じたものなのである。

一般的に、男性の方が女性よりも悲観的に物事を考えることが多いが、その結果、女性の胸だけが膨らむのである。また、男性はおおきな胸を好む傾向があるが、それは、おっぱいの大きさがその女性の未来に対する期待値に比例しているからに他ならない。この立場を取ると、おっぱいの大きさと頭の悪さが比例するとする古典的な理論とも見事に符合する。クルクルパーの方が、将来への憂慮は少ないだろうと予測されるからである。

私はおっぱいに関する新学説を思いついたことで、また一歩おっぱいの神秘に近づけた気がした。

だが、おっぱいは汲めども尽きぬ、神秘の泉である。私はまた、新たな発見とインスピレーションを求めて女の子のおっぱいを見つめるのだ。首周りがあいた服を着てたら、しゃべりつつ、さりげなく、谷間を覗き込むのである。気づかれたらささっと胸元を隠されるので、どれだけ自然に視線を落とせるかが勝負所だ。

おっぱい研究の魅力は尽きない。
この記事へのコメント
生まれた直後は触りたい放題なのに、
生まれた直後であるがために、
それを思い出に出来ないのは大変残念なことです。
Posted by ながさき at 2008年09月16日 21:55
発育不全に終わったけーにゃんです。

そんなけーにゃんはもはや女失格です。
Posted by けーにゃん at 2008年09月22日 02:26
>ながさきさん
ぼくは若いお姉さんのおっぱいがいいです。

>けーにゃんさん
需要は少なからずあります。
Posted by 清水 at 2008年09月22日 23:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。