2008/08/02

原子力コーヒー

ぼくが、夕陽より夕陽が降り注ぐきみの顔の方がきれいだよ、って言ったから、きょうはサラダ記念日。

あれは三年前のあさってのあした、ぼくはポスト消費社会のゆくえについて前頭葉をフル稼働させて考えていた。五十分の回転で三百円が必要で、若いぼくには財布へのダメージも小さくなかったが、バイトを増やせばいいやと思って我慢して投入していた。

サンダルの裏に何か米粒のようなものが付着した気がして立ち止まってみると、後ろから知っている声がした。

「たっくん」

空耳かと思ったけど、見てみるとそこには三尺のシルクハットを逆さに被ったアイルランド出身の妖精がいたのだった。懐かしさが胸にこみ上げてきた。

「たっくん、相変わらず耳にピーナツを入れるのが好きなのね」
「やめてくれよ。久しぶりに会っていきなり豆の話なんて。それより、どうしてこんな暑いところにいるんだい。ここには水もないし、肌は大丈夫なのか?」

ぼくと妖精の妖子はそこから歩いて五十分の、もしくは落下して三十秒のカフェ「原子力空母」に行った。プルトニウムの力でいれるサイラス式コーヒーが美味の老舗である。マスターの老化現象はまた一段と進み、頭部はサハラ以上に砂漠化が進行している。

「見て、このアクリルのテーブル。中にふわふわ泳いでる緑っぽい乳白色のものが見えるだろう? これ、ぜんぶマスターが封じ込めた客の魂なんだ」
「怖いわ。自由にしてあげた方がいいんじゃないかしら?」
「それがそうでもないんだ。みんな喜んでるよ。ほら、曲にのって尻尾を振ってるだろ?」

古いジュークボックスからはアメリカで六十年代に流行った井上陽水の音楽が流れていた。この頃の井上陽水は傘も持っててしっかりしており、いい音楽をつくっていた。

マスターがカップを洗っている。その後ろには高さ五メートルの棚があって、無数のアイテムが陳列されている。いろいろな飲み物のペットボトル、携帯電話の古い機種、ネジを削って出たゴミの金属片、真っ二つに割ったCDやDVD、ミニチュアのマンホール、扇風機の羽、割れたステンドグラスを詰めた水槽、ディスプレイをもいでガムテープではり付けたマックブック、端子をすべてハンダ付けして水流カッターで半分にしたPS3、などなど。マスター曰く、「この店には世界のすべてがある」。

店の中心にはグランドピアノが一台ある。しかし、誰も演奏する者はいない。そのピアノの上には、正方形にプレスしたメルセデス・ベンツ三台がのっているからである。さらに、ピアノの白鍵一つ一つにスーパーボールが接着剤でくっつけてある。

「あじさいの花、どうなったの?」

彼女が煙草をくわえながら訊いた。ぼくはテーブルのミニ火トカゲの腹を親指で押して煙草に火をつけてから答えた。

「毎晩般若心経を聞かせてたら、彼岸花になったよ」
「残念、また失敗したのね」

ぼくは、別に失敗ではないと思い、でも、失敗と言われれば否定することもできないかと思い、それでも何か言い返したいと思ったが、別にこだわることでもないような気がして、だけど、せめてもの仕返しとして彼女のコーヒーにジャムを入れてやった。

「ありがとう」と、彼女は言った。

ふと電光啓示板を見ると、文庫本のつむじ風が時速30万キロメートルでこちらに向っているという。納豆サラダを注文しようと思っていた矢先のことだったが、これはカラシをけちっている場合ではないと気づき、ぼくは彼女の手を引いて地下に逃げようとした。

「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ一口しか飲んでないの」
「そんな悠長な事言ってる場合か! あと五時間くらいで到達するんだぞ!」

床の下にはジェニファーがいた。もちろん青い服と白い棒を持っていた。ぼくたちはマスターを信頼して、お店を出ることにした。入り口は横だけとは限らないのである。

しかし、下に向おうとしたぼくらであったが、妖子は機嫌を損ねたのかぼくにいいところを見せようと思ったのか、急にぼくの手を掴んでぼんやりとプルトニウムみたいに光ったかと思うと、地面をすり抜けて黒い空へと飛翔した。

(ああ、風って、あの空だけに吹くものじゃなかったんだな)

ぼくは妙に納得していた。ふと振り返ってみると、そこには黒いコーヒーの底に光る放射性元素の砂糖みたいに、ぼんやりとグリーンに光る喫茶店の風景があった。

物質は、それほど密度が高いものではないんだ。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。