2008/06/13

ぼくが飛ぶ日

生身のまま空を飛んでみたい、というのは人類の昔からの夢だし、ぼくにとっても昔からの夢である。が、よく考えたら、人は、二度空を飛ぶ、ということに気づいた。気づいてしまった。

一度目、それは、コウノトリに運ばれてくるとき。

今でもあのときのことは鮮明に覚えている。タオルに包まれた幼いぼくは、大きなコウノトリのクチバシにぶら下げられ、ずっとずっと南の方から運ばれてきた。空から見おろす青い太平洋はどこまでも続き、ときおり潮を噴くクジラやマグロの群れの影が見えて美しかった。そのうち島が見え、自分がゆくことになる街へと近づいていった。

「ああ、ここがぼくの住む場所になるのか」

新たな人生に思いを馳せ、同時に、どんなお母さんお父さんなのだろうか、兄弟はいるのだろうかと、期待と不安を募らせていた。

「ねえ、コウノトリさん。ぼくはどんな国に運ばれるの?」

ぼくは太平洋の上で尋ねてみた。

「ほへはへ、ひほんほいふひふはほ」

タオルをクチバシに挟んでいる彼は、うまくしゃべれなかったようで、すべて「は」行になってしまっていた。

では、二度目に飛ぶのはいつか。

今では、たいていの人が飛行機にのるときに飛ぶだろう。あるいは、パラグライダーやヘリコプターで飛ぶ人もいるかもしれない。が、誰にでも訪れる平等な、そして機械を用いないフライトはやはり今も昔も死の時である。もっとも、このときは肉体は置き去りにするわけであるが。

ぼくが小さい頃、祖父が死んだ。末期にはもう意識もなくなっており、鼻から魂が出かかっていた。呼吸をするたびに、鼻から小さいおじいちゃんが出たり入ったりしていた。

「おじいちゃん、逝っちゃやだー!」

ぼくは泣きながら叫んだ。

しかし、死すべき人間の魂をとどめることなど、悪魔以外にできようはずもない。おじいちゃんは最期に「ふぅー」と肺の空気をすべて吐き出すように深く息を吐くと、鼻の穴からにゅるんと魂が出ていった。そうして、魂は窓から外に出てゆき、空へと昇っていったのである。

「さようなら、おじいちゃん」

ぼくたち家族はみんなでおじいちゃんを見送った。ぼくが手を振ると、おじいちゃんもこっちを見て手を振ってくれた。その笑顔は実に晴れやかであった。空が飛べるのが嬉しかったんだろう。

おじいちゃんの死を経た次の日、もう天に昇ったとばかり思っていたおじいちゃんが家の換気扇にからまっていた。すぐに成仏するのは躊躇したのか、もう少し地上にとどまりたいと言っていた。

ぼくは油で汚れたおじいちゃんを石鹸で洗ってやり、いっしょに遊んで過ごした。おじいちゃんは一日中部屋の中を飛び回っていた。空を飛べると腰痛が気にならないと言い、実に嬉しそうだった。ときどき、飼っている猫がおじいちゃんを捕まえようとした。一度見事に捕まり、猫がぼくの前までおじいちゃんをくわえてやってきたときはヒヤヒヤしたものだ。

「チビ、それはおじいちゃんだから放しなさい!」

チビはしぶしぶおじいちゃんを解放し、間一髪、食されずに済んだのだった。

しかし、そんなおじいちゃんとの時間も束の間、次の日の葬式で坊さんがお経を唱え始めたとき、おじいちゃんの魂はどんどん上へ引張られるように上昇し、ソファに捕まって耐えていたものの根気づよい読経によっておじいちゃんはとうとう天に召されたのだった。

「故人は、なかなか手強い方でした」

お経を唱え終えた坊さんの額には、汗の玉が吹き出していた。

いまはまだ若いといっても、いずれぼくも天に召されることになる。あの日コウノトリに運ばれながらみた空からの地上の景色がまた見れると思うと、いまから楽しみである。死ねる日が待ち遠しい限りだ。


ランキング
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。