2008/06/01

ママ

ママからメールがきた。

「京都の空に飛行船が飛んでるよ」

だからなんだと言いたい。いや、むしろ、知っている。おととい見た。「地球にエコ」と大書された優雅な飛行船を、ぼくは歩きながら見つめ、マンホールにストーンと落ちそうになった。(でも蓋がしてあったから大丈夫だった)

かように、ママからはときどき他愛のないメールがくる。一億総マザコン化が危惧される現代のニッポン。これはびしっと言ってやらねばならない。「いい加減に子離れをしろ」と、「ぼくはいつまでもママの手のひらで遊ぶ子どもではないのだ」と。

ぼくはメールを返信した。

「おとといも見たよ」

結局、いつも通りの当たり障りのない内容になってしまった。

仕送りを止められたら困るからである。


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2008/06/02

死をめぐって

五月は、憂鬱な月だった。

世の中では暗い出来事ばかりが目立ち、ぼくの心も塞ぎがちだった。ゼミの授業でも、友人たちの出席率が著しく低下していた。みんなも憂鬱な気持ちで過ごしていたのだろう。

そんな中、ほとんど欠席したことのない土川(仮名)という男が、二度続けて欠席していた。しかも、教授にも連絡なく、である。

お世辞にもまじめとは言えない彼だけれども、ゼミだけはいつも顔を出していただけに心配だった。それに、来週は三回生のゼミとの交流会があるから、その出欠も確認しないといけない。ぼくは彼にメールを送ってみた。それが金曜日のことだ。

が、週末を過ぎ、今日になっても返信はこなかった。日曜の夜にもう一通送ってみたけれど、それでも音信不通だった。

ますます彼の身に何かあったのではないかと、ぼくの中で土川死亡説が濃厚になってきた。そこまでいかないまでも、病気や事故に見舞われたのではないかという不安が胸をかすめる。

そんなぼんやりとした不安を抱えていた折、きょうの夕方のことである。ぼくは夕食をとろうと学食にゆくと、混雑している中で六人がけのテーブルに一人で座る土川がいた。見ると、漫画を読んで笑っていた。大学の食堂で、一人で漫画を読みながら笑っていた。

死ねばいいと思った。


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2008/06/03

きみはプリンセス

知り合いに、めちゃめちゃかわいい女の子がいる。特筆すべきかわいさの女の子がいる。

彼女を一目みた男で恋に落ちなかった男はいないし、少しキャンパスを歩いているだけで見知らぬ男子学生たちがびっしり集まってくるという、それほどの美人。まるで、ぼーっとしながら歩いていて天国から足を踏み外して落ちてきた小柄な天使。そんな雰囲気。

彼女はそんな絶世の美貌の持ち主でありながら、それを鼻にかけることがない、きわめてまじめな人なのです。いい子なのです。大人しく、人当たりのいい人なのです。むしろ、静かな人です。

けれど、きょうは食堂で意外な一面をみてしまいました。

ぼくが食堂でひとり、孤食の時代を体現するがごとくに夕ご飯を食べていると、そこに、彼女がやってきました。三人の男がいっしょでした。おそらく、同じ学科の友人なのでしょう。ぼくの知らない顔ぶれでした。

男たちはみな彼女のご機嫌をうかがうように笑みを浮かべて彼女と話していました。六本の視線が彼女に釘付けになっていました。

食事を持ってきた後も、彼らは「お茶はどう?」とか「お肉切ってあげようか?」などを気を利かせ、正に至れり尽くせり、といった状態でした。

「おや、さすがは恵子だ」と思って見ていると、なにか様子がおかしいのです。

「王女様、いつも美容院はどこへ行ってるの?」とか
「王女様は痩せ過ぎだから、もっと食べた方がいいよ」とか
「王女様はいつみてもきれいだね」とか

男たち三人が、その子のことを「王女様」と呼んでいるのです。

これは何かの悪ふざけではあるまいかと、ぼくは思いました。しかし、恵子の様子をみていると、まんざらでもなさそうなのです。顔をよくみると、微笑をすらたたえているのです。

「おやおや、これは」

ぼくは彼女のことが気になったので、終りまで見届けました。食事が済んだ後も、彼らはなるべく恵子といっしょにいたいという魂胆見え見えの様子で、彼女と楽しそうにおしゃべりをしていました。あいかわらず、彼女のことは「王女様」と呼んでいました。恵子も、それを当然のように受け入れて、言葉少なく会話をしていました。 満足げな表情でした。しかし、しばらくすると飽きたのか、

「それじゃあたし、図書館に行って勉強しなきゃいけないから」

と言いました。男たちは、彼女を引き止めようと、「まだいいじゃん」とか「もう少ししゃべろうよ」などと言うのですが、それを聞いた恵子が少し顔をしかめると、たちまち態度を豹変させ、「あ、ごめん」と言って謝り、「食器はおれが片付けるよ」とまで言い出す始末。しかも、「いや、おれが片付けるって」「お前はこの前片付けたから、きょうはおれだよ」と、恵子の食器片付けで喧嘩になるというありさま。恵子は、それを見て口の端を緩ませていました。

夜、ぼくが図書館で勉強して、さあ帰ろうと外へ出てみると、たまたま恵子と顔をあわせたのでいっしょに帰ることになりました。そこで、ぼくは訊いてやりました。

「恵子ちゃん、きみはいつから王女様になったんだい?」
「え、なんのこと?」

恵子はとぼけています。

「きょう、食堂で男の子たちにそう呼ばれてたじゃないか?」

ぼくがそう言ってやると、彼女はぎくりとしていました。

「そ、そんなの聞きまちがいだよ。いつも名字で呼ばれてるもん」

けど、ぼくは騙されませんでした。こいつは嘘をついていると思いました。

「うそうそ。ぜったい呼ばれてたってば。なんでみんな王女様って呼ぶの?」

彼女は黙り込んでしまいました。

「あ、そう呼んでもらいたくて『王女様って呼んでね』って言ったんだ?」

すると、ぼくは左の拳で頬を殴られました。細い腕のわりには、いいパンチでした。

「痛てて‥‥‥乱暴なお姫様だね。いったいどこの宮殿に住んでるんだい?」

ぼくがそう言ってやると、ちょうど彼女の家の前につきました。すると彼女が、マンションの表札を指差しました。名前を見ると、「京都○○パレス」となっていました。

王女様という呼称も、あながち嘘でもないのでした。


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2008/06/04

ピンパ

イタリア語の授業で、『ピンパ』という子ども向けアニメをみた。これはイタリアで制作されているアニメなのだけれど、一言でいって最高のアニメだった。

主人公は白にピンクのまだらがある飼い犬。アニメの色調はジミー大西の絵を彷彿とさせる原色が基調である。一つの話は五分ほどの短いものだ。今回は、主人公ピンパがインドにゆくお話をみた。

まず、風呂に入ったピンパが頭にタオルを巻いて出てきて、リビングでテレビをみる。手にはオレンジジュース。それをストローで飲む。もう一度確認しておくと、この主人公は犬である。

テレビでは蛇使いが映っているのだけれど、なぜか画面から蛇が出てきてピンパとおしゃべりをする。それで、二人(二匹)でインドにいってみようという話になる。ひじょうにクールな展開である。

そこで、何を思ったか、ピンパはリビングにある絨毯を持って外に出て、絨毯に命令する。

「インドにいくから連れてってくれよ」

これには絨毯も困り顔で(絨毯にも顔がある)、

「ぼくは飛べないよー」

と言う。するとピンパが、

「がんばってよー」

と言う。すると絨毯ががんばって飛び、

「あ、飛べた!」

と言う。ひじょうにクールな展開である。

ピンパと蛇と絨毯はものすごい勢いで空を飛んでインドへ一直線。しかし、途中でヒマラヤ山脈に立ち寄り、そこで一件の小屋を発見する。ピンパがドアをノックする。

「コンコン。開けてよ」

「だめだめ」と、中から返事が返ってくる。

「お外はとっても寒いんだ」

「しょうがないな」と、あっけなくドアを開けてくれる。

ピンパが中に入ると、そこには年老いたマンモスがいた。マンモスは悲しそうにこんなことを言う。

「わしはこんな毛むくじゃらだし、牙もあるし、ひ孫たちにも会いに行けんよ」

それを聞いたピンパ、ひじょうに頼もしい感じで

「ぼくに任せてよ!」

と言う。そして、マンモスの全身の毛をきれいに剃ってしまう。これにはマンモスも大喜びだ。牙に関しては、「とってもかっこいいからいいじゃないか」の一言で解決である。

「それじゃ、ひ孫の像たちに会いに行こう!」

マンモスのひ孫が像だという部分、作者の怖いほどの才能を感じる。

「ひ孫たちはどこかなー?」

蛇とピンパとマンモスが絨毯に乗ってひ孫たちに会いにゆくのだけれど、ここで問題発生。長いあいだ会いにいってないから、マンモスはひ孫たちの居場所を知らないのだ。しかし、そこでピンパが名案を閃く。

「そうだ、コントロールタワーに訊いてみよう!」

最高にクールな展開だ。コントロールタワーはとっても高いから、なんだって見渡せてなんだって知っているはずなのだ。

いざコントロールタワーに聞いてみると、やはり彼は像たちの居場所を知っていて、無事マンモスはひ孫たちに再開する。二頭の小さな像たちはひいお祖父ちゃんに会えたことを喜び、一件落着だ。

「そろそろ帰ろうかな」

とピンパが言う。しかし、蛇はその場に残るという。いったい、ヘビはどこから来てどこへゆくのか。謎である。

絨毯に乗ったピンパは家のあるイタリアまでひとっ飛びだ。

「絨毯くん、家の場所わかる?」
「わかるよー」
「じゃあ着いたら起こしてね」

ピンパはぐっすりと眠り込んでしまう。もともと飛べなかった絨毯を飛ばしてインドまで行かせ、マンモスまで乗せ、帰りは自分は眠り込んでしまうピンパ。もはや鬼だ。

それから、家に到着して飼い主に起こされるところでこのお話はおしまい。

最高にクールなアニメだった。


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2008/06/05

決戦前夜

あしたはいよいよ三年生との合同コンパだ。

いったい何人の女の子をお持ち帰りできるのか、それが争点となる。今からシミュレーションに余念がないわけである。

「先輩、酔ってますか?」
「酔ってるよ。きみのかわいさに、ね」

これでまず、一人。

まあ、他にはさしあたって口説き文句が思いつかないから、あと二人くらいはクッキーやチョコレートを握らせることでなんとかしようと思う。

三人の女の子を落としたところで、次は部屋に連れ込むという段階である。そして、若い男女が一つ屋根の下ですることといえば一つしかない。そう、人生ゲームだ。

そうして、東の空が白むまで、ぼくらは熱い夜を過ごすのである。人生ゲームで。


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2008/06/06

スキンシップ

きょうはお待ちかね、三回生とのコンパがあった。

久しぶりのコンパなるものに参加するにあたり、ぼくは一つ、心に決めていたことがある。それは、ある雑誌で読んだ異性を落とすテクニック。そう、スキンシップである。

会話も大事だけれど、やっぱり人と人。からだのちょっとした触れ合いというのは心の距離を縮める上でもひじょうに効果的なのだ(と、雑誌に書いてあった)。もちろん、あまりやりすぎてあんなとこやそんなところをそんなふうに触ったら塀の中で寝起きするハメになるけれども、軽く手や肩に触れる程度なら問題ない、はずだ。

スキンシップをスローガンとして、いざコンパ会場へ。そこでぼくが座ることになった席は壁際。そして、目の前には教授が鎮座しておられた。

ああ、まわりをぐるっと女の子に囲まれ四面美女で酒を飲むという夢は崩れ去った。このときぼくは、「人生は自分の思い通りにはならない」ということを知った。

仕方がないから、ぼくは太鼓持ちよろしく、大学の裏の最高権力者と呼ばれる教授のご機嫌をとり、将来の政治的策略のための根回しをした。

「清水くん、期待しとるからがんばらなあかんで!」
「はい先生! がんばります!」

といった塩梅である。権力には従順なタイプの人間である。

それと、ぼくの隣には久しぶりに大学に来た女の子がいた。彼女は現在、大学を休学中なのだけれど、久しぶりに顔をあわせたその子は髪の毛がぜんぶなくなっていた。帽子をとったかと思うと、髪の毛が、ぜんぶ、なくなっていた。

つまり、丸坊主である。

「おお、なんと神々しい‥‥‥」

あの、さいきん嘘ばかり書いてるから信用されないかもしれないけれど、実際、晩年のガンジーを彷彿とさせるような坊主であった。後光がさし、そのお顔は菩薩のようであった。ぼくはご利益があるかもしれぬと思い、その坊主頭をさすらせてもらった。

当初のスキンシップという目標は、達成できたことになる。


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2008/06/09

似てるもの

きょう、月と太陽が別のものだということに気づいた。

2008/06/10

喉ちんこフリカティブ

ぼくは、得意げにアメリカン・アクセントで英語をしゃべる女子が嫌いだった。

なんだかわからない、あの独特の音。「うぅうぅ」という‥‥‥違う、「あぅあぅ」‥‥‥違う、「うぉうぅ」でもない‥‥‥そうだ、日本語じゃないから日本語で表記できないんだった。うっかりだ。

要するに、アールの音だ。舌をのけぞらせて口の奥の方にやって発音する音だ。へい、トム。英語で作家はなんて言うんだい?

"Writer"

これだ。

ぼくは昔からこの音が嫌いだった。だから、トムのことも嫌いだ。もう合衆国に帰ってくれ。

アメリカ人に比べて、イギリス人の英語は好きである。あの変なアールの音がないからだ。それに、他の音も、日本人のぼくには聞き取りやすい音ばかりだ。この印象の違いは、だいたいアールの音の発音の差に起因するといっていいんじゃないだろうか。

なぜこんなことを言うのかと言うと、音声学の授業で聞いたからである。あの授業はこれまでの人生でずっと心の隅に埋もれていた言語の発音に関する疑問を解き明かしてくれる。喉に詰まった魚の骨が取れたかのように、すっきりする。

他にも、さっきトムが発音してくれたwriterという単語。これはアメリカ英語ではライターではない。ライラーと発音される。そして、riderも音便によってライダーからライラーになる。実は、発音されるときはほぼ同じ音になるのだ。

他におもしろかったのは、喉ちんこを使った音である。喉ちんこをふるわせると、おもしろい音が出るんだ。口のどこかを摩擦させて出す音をフリカティブ(fricative)という。だから、喉ちんこの摩擦音は喉ちんこフリカティブである。あなたが喉ちんこを震わせたから、喉ちんこフリカティブである。

それは、うがいをするときに出る「ああああああ」という音だ。‥‥‥いや、違う、「がああああ」‥‥‥違う、「がらがらがらがら」‥‥‥。そうだ、日本語にはない音だから、日本語では表記できないのだった。

この音を知ったとき、ぼくの中で謎が氷解した。

もう三年間気になっていたドイツ人ネイティブのrの発音である。赤はドイツ語でrot。ぼくはこれまで、ずっとカタカタ読みで「ロート」と発音してきた。けど、ネイティブの先生はどこか違う音を出していたから、とっても不思議だったんだ。別に、「ロート」だって通じるけど、ずっと、何か微妙に違うと思っていた。

すると、この「ロート」は、rの部分で喉ちんこフリカティブを用いる、ということが判明したわけだ。年という意味のJahr(ヤール)も同じ。

日本語にはない音を探すというのはおもしろく、そういう所にも言語を学ぶ楽しさがある。全般的にみて、フランス語は口の出口の辺り、舌先や歯のあたりを使う音が多く、ドイツ語は口の奥の方を使う音が多い気がする。中国語は濁音と清音の区別が希薄で(そのため中国人留学生は日本語の濁音を清音にして発音してしまうことが多い!)、アラビア語には喉のずっと奥の方を使う独特の音がある。


さて、少し前置きが長くなってしまった。たぶん「ロート」が云々という部分で大半の人はこのブログをお気に入りから削除したであろう。けど、気にせず日記を続けよう。

きょうは、暑かった。六月の本気をみた気がする。

「六月の太陽ナメんなっ!」

という声が、上の方から響いてきた。

「雨雲があるからまだ涼しいけどな、ほんとは七月とか八月にも負けてねぇんだぞおれはっ! 雲さえなきゃもう夏本番なんだぜっ!」

という太陽の叫び。今日は本気が出せてさぞ気持ちがよかったであろう。(ちなみに、スイッチをONにすると太陽でOFFにすると月になると勘違いしている人が多いが、月と太陽は別々の天体である。)

一方、ぼくは疲弊気味である。これだけ授業が続くと、なんだか精神に弾力がなくなる。ゴムが使い過ぎでのびのびになって、びろーんとして、「も、もうだめっすよぉ‥‥‥」という状態だ。まるでぼくの下着と同じだ。

ぼくはそんな疲れを癒してもらおうと、今日も好きな女の子に告白した。

「きみなしじゃ生きていけないんだ!」
「じゃあ死ねば」

やんわり振られてしまった。

ぼくは傷ついた心を抱いて、部屋に戻ってきた。そうして、ドイツ語のアールの音、すなわち喉ちんこフリカティブの練習をするのである。

「あああああああああーっ」

「ぐああああああああーっ」

「がらがらがらがらがらっ」

「うぐらほげぐりぽんでりんぐっ」


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2008/06/11

メンズノンノは外国人向け

「髪の毛伸びたね」
「うん、おれの髪の毛、放っておくと伸びてくるんだよ」

で笑ってくれたら脈ありだ。ぜひ参考にして欲しい。

しょっぱなから恋の指南をしてしまったが、きょうは三ヶ月に一度のイベント、散髪にいってきた。はじめての美容院にゆくと

「こちらカルテとカウンセリングシートになりますのでご記入ください」

と言われ、おや、ここはクリニックだったかと不安になった。しかし、椅子に座っている人々を見ると虫歯治療ではなく髪を切られている最中であったので一安心だ。さいきんの美容院は歯医者や病院と紛らわしくて困る。

まずはシャンプーをしてもらった。このときもやはり、女の人が泡を立てている、という状況に直面して別の種類のお店に来てしまったのではないかと不安になった。が、ビニールのマットが用意されていないことを確認し、ふたたび胸を撫で下ろした。

「少々お待ちください」

美容師のお姉さんはぼくを椅子に座らせたままどこかへ行ってしまった。ぼくの目の前には陰気くさい男の姿があった。それはぼくであった。手元の台には雑誌があった。暇だったので、それを手に取って読んだ。

が、『メンズノンノ』という雑誌を開くと、そこには外国人の男ばかりが掲載されており、これは外国人用の雑誌だったんだと気づいて台に戻した。通りでタイトルが英語だったわけだ。

次に『スマートヘッド』という雑誌を開いてみた。こんどは予想に反して外国人の被写体はおらず、日本人向けの雑誌だったんだと安心したのだけれど、それも束の間。「スマートな頭」というからにはさぞ知性的な人が特集されているのだろうと思ったら、ことごとく頭の悪そうな男ばかり載っていたので「騙された」と思った。詐欺である。

窓から薄暗くなる外の様子を眺めているうちに、カットが終った。ロン毛に迫る勢いだったぼくの頭髪も、いまじゃさっぱりだ。床にはおびただしい量の毛が散乱していた。いまのうちにこれを集めて、将来のためのカツラを作成しておきたい衝動に駆られた。

お金を払って、お店の外に出る。すると、カットを担当した美容師さんがお見送りをしに外まで来てくれる。

「ありがとうございました。お気をつけて」

ぼくはまたしても、美容院ではなく、なにか別の種類のお店に来たんじゃないかと不安になった。が、右手を伸ばして髪を触るとたしかに短くなっていたので、やはりここは美容院だったのだと気づき、安心した。

「髪の毛切ったね」
「頭は切ってないよ!」
「頭切ったねとは言ってない!」

と、うまくツッコミを入れてくれる女の子と、ぼくは結婚したい。結婚する。


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2008/06/13

ぼくが飛ぶ日

生身のまま空を飛んでみたい、というのは人類の昔からの夢だし、ぼくにとっても昔からの夢である。が、よく考えたら、人は、二度空を飛ぶ、ということに気づいた。気づいてしまった。

一度目、それは、コウノトリに運ばれてくるとき。

今でもあのときのことは鮮明に覚えている。タオルに包まれた幼いぼくは、大きなコウノトリのクチバシにぶら下げられ、ずっとずっと南の方から運ばれてきた。空から見おろす青い太平洋はどこまでも続き、ときおり潮を噴くクジラやマグロの群れの影が見えて美しかった。そのうち島が見え、自分がゆくことになる街へと近づいていった。

「ああ、ここがぼくの住む場所になるのか」

新たな人生に思いを馳せ、同時に、どんなお母さんお父さんなのだろうか、兄弟はいるのだろうかと、期待と不安を募らせていた。

「ねえ、コウノトリさん。ぼくはどんな国に運ばれるの?」

ぼくは太平洋の上で尋ねてみた。

「ほへはへ、ひほんほいふひふはほ」

タオルをクチバシに挟んでいる彼は、うまくしゃべれなかったようで、すべて「は」行になってしまっていた。

では、二度目に飛ぶのはいつか。

今では、たいていの人が飛行機にのるときに飛ぶだろう。あるいは、パラグライダーやヘリコプターで飛ぶ人もいるかもしれない。が、誰にでも訪れる平等な、そして機械を用いないフライトはやはり今も昔も死の時である。もっとも、このときは肉体は置き去りにするわけであるが。

ぼくが小さい頃、祖父が死んだ。末期にはもう意識もなくなっており、鼻から魂が出かかっていた。呼吸をするたびに、鼻から小さいおじいちゃんが出たり入ったりしていた。

「おじいちゃん、逝っちゃやだー!」

ぼくは泣きながら叫んだ。

しかし、死すべき人間の魂をとどめることなど、悪魔以外にできようはずもない。おじいちゃんは最期に「ふぅー」と肺の空気をすべて吐き出すように深く息を吐くと、鼻の穴からにゅるんと魂が出ていった。そうして、魂は窓から外に出てゆき、空へと昇っていったのである。

「さようなら、おじいちゃん」

ぼくたち家族はみんなでおじいちゃんを見送った。ぼくが手を振ると、おじいちゃんもこっちを見て手を振ってくれた。その笑顔は実に晴れやかであった。空が飛べるのが嬉しかったんだろう。

おじいちゃんの死を経た次の日、もう天に昇ったとばかり思っていたおじいちゃんが家の換気扇にからまっていた。すぐに成仏するのは躊躇したのか、もう少し地上にとどまりたいと言っていた。

ぼくは油で汚れたおじいちゃんを石鹸で洗ってやり、いっしょに遊んで過ごした。おじいちゃんは一日中部屋の中を飛び回っていた。空を飛べると腰痛が気にならないと言い、実に嬉しそうだった。ときどき、飼っている猫がおじいちゃんを捕まえようとした。一度見事に捕まり、猫がぼくの前までおじいちゃんをくわえてやってきたときはヒヤヒヤしたものだ。

「チビ、それはおじいちゃんだから放しなさい!」

チビはしぶしぶおじいちゃんを解放し、間一髪、食されずに済んだのだった。

しかし、そんなおじいちゃんとの時間も束の間、次の日の葬式で坊さんがお経を唱え始めたとき、おじいちゃんの魂はどんどん上へ引張られるように上昇し、ソファに捕まって耐えていたものの根気づよい読経によっておじいちゃんはとうとう天に召されたのだった。

「故人は、なかなか手強い方でした」

お経を唱え終えた坊さんの額には、汗の玉が吹き出していた。

いまはまだ若いといっても、いずれぼくも天に召されることになる。あの日コウノトリに運ばれながらみた空からの地上の景色がまた見れると思うと、いまから楽しみである。死ねる日が待ち遠しい限りだ。


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2008/06/15

だって似てるじゃん

将来的に月に火を放って、夜でも昼のように明るくしてやろうと思う。

2008/06/16

ペンネンネネム

京都には素敵な喫茶店がいっぱいだ。この頃ぼくは、個性豊かな喫茶店をめぐり歩くことにご熱心なのである。

先週の金曜日は六曜社というカフェにいった。地上と地下、それぞれに店舗があるのだが、下の階に行った。狭い店内は赤い照明で照らされ、カウンターの向こうにはさまざまなコーヒー豆やお酒が並べられている。とてもおしゃれである。(これ以上のことはぼくの表現力では表せない)

しかし、六曜社なんかどうでもいいんだ。今回、この『京都のカフェめぐりブログ』にてご紹介するのはこちら、ペンネンネネムである。

ペンネンネネム、である。

ペンペンネムネムではない。ペンネネネウムでもない。ペンネムエヌムですらない。ペンネンネネムである。

Nの出血大サービスを行っているこのカフェは、ぼくの家から徒歩5分のところにある。ぼくの家に突撃したい人はこの店の場所を調べればだいたい見当がつくわけである。一階が中古のブランド品とか扱ってる店になってて堀川通に面してるマンションだから、ぜひ見つけ出してみて欲しい。部屋は11階である。

話がそれたが、そのペンネンネネムにきのう行ってきた。これがもう、筆舌に尽くし難いほどすばらしいお店だった。だからもう、文章はやめて写真を載せようと思う。これである。

nenem.jpg

ある道(ぼくがマックに行くときに歩く道)に、この秘密の町家カフェへの入り口はある。あまり目立たないから、注意しなきゃいけない。

この、建物に通じてる細道がまた素晴らしく、一ひとりがやっと歩けるような道で、両側が木の樹皮で挟まれてるのだ。小道フェチとしてはもう、これだけでよだれがとまらない。う、うひっ、うひへっ。

がらがらがら、と引き戸を開けると、そこはおばあちゃん家のにおい。つまり、むかしながらの日本家屋の、懐かしいにおい。

「いらっしゃいませ」

お店のお姉さんが出迎えてくれて、「お好きな席へどうぞ」。けど、喫茶店にきたというより、どこかの家に遊びにきたという感覚である。ぼくは上がりかまちで靴を脱ぎ、畳の部屋にあがらせてもらった。思わず「おじゃまします」と言ってしまった。

部屋の中にはところせましと絵本や本、DVDやおもちゃが飾られている。ペンネンネネムという店名は宮沢賢治の作品のタイトルからとられているのだが、賢治の作品がたくさん置かれている。ぼくは、喫茶店に来たつもりが最終的にぼくの方が食べられちゃいはしないかとヒヤヒヤした。

ぼくはマンマのパスタというエビとトマトのパスタと、コーヒーを注文した。それから一時間ちょっと、ゆったりとした時間を過ごした。繁華街にある喫茶店と違って、お客さんもあまりおらず──ぼくの他には親子連れが二組いただけだった──心が落着く。それはなにより、畳と木の家のにおい、あるいはその下の地面からかおる土のにおいのおかげであろう。

戦後、日本は西洋文化を取り入れ、木の家よりもコンクリートの家に住むようになり、土と木のにおいを忘れてしまいました。だけど、こんな荒んだ時代にこそ、ぼくらは昔の日本人の生活を思い出し、ほんとうの豊かさを取り戻すべきなのかもしれません。


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2008/06/20

フランソア喫茶室

さて、第二回となる『京都のおすすめ喫茶店シリーズ』ですが、今回はフランソア喫茶室をご紹介いたします。

週の最期の授業となるゼミのあと、ぼくは電車で四条(にぎやかなところ)に向いました。雑誌を片手に目的の喫茶店を探します。

「この路地かな」

そこには細い道がありました。たぶん、ここに違いありません。ぼくはずんずん奥に入ってゆきました。すると、にぎやかな四条通とはちょっと違う、人通りの少ない細道がありました。そして、奥の方をみると、きらきらした看板が輝いていて「○○ヘルス」と書いてありました。

それがどんな店かは分かりませんでしたが、なぜか「違う」というカンが働きました。それらの店はおそらく健康に関わる何かを売っているのでしょうけれども、ぼくは喫茶店にゆきたいのです。入る道を、二本間違えていたのでした。

もう一度雑誌で通りの名前を確認し、こんどは大丈夫だと思いました。すると、

「お兄ちゃん、たった5,000円だよ! どうだい、たまには!」

と、元気なおじさんに声をかけられました。それがどんなお店か分かりませんでしたし、何にせよ5,000円は高いだろうと、それに、「たまには」の意味もわかりませんでしたので、申し訳ないと思いつつ無視を決め込みました。あのあたりは風変わりなお店が多いということをはじめて知りました。 (お金に余裕ができたら入ってみたいと思います)

さて、そのおじさんのいる店の二件となりに、フランソアはありました。営業しているのだろうか、とふと不安になってしまいましたが、あいているようです。

「いらっしゃいませ」

ぼくがドアをあけると、荒れ地の魔女が迎えてくれました。白髪の魔女でした。あまりその辺ではお目にかかれないような、とても上品な、あるいは浮世離れした雰囲気をたたえたマダムでした。

店内はゴシック様式というのか、バロック様式というのか、絶対君主が「朕は朕は」とがんばっていた頃のフランス上流階級の屋敷を彷彿とさせるつくりでした。赤い布張りの椅子に、焦げ茶色の木の机。壁にはモナリザの絵、古いパリの地図、女性のデッサンなどが飾られ、『アヴェ・マリア』などの声楽が流れていました。

そして、いちばん驚かされたのはウェイトレスでした。お店には女性の店員しかおらず、その荒れ地の魔女以外は全員シスターでした。つまり、修道女なのでした。黒い髪に、服は水色のワンピースでした。いつぞや行った秋葉原のメイド喫茶も独特な雰囲気でしたが、こちらはもっと独特でした。

「すみません」ぼくはシスターの一人を呼びました。「コーヒーをください」

「はい」シスターは静かに注文を受けました。

彼女らは他の喫茶店ではありえないほどの落ち着きを見せていました。それがこの喫茶店の独特の、異世界的なムードをつくりだしていました。ぼくはミステリアスに謎めいたふしぎなシスターの一人に恋をしました。彼女は笑顔も見せず、慌てることなく、しずしずと注文をとったりコーヒーを運んだりしていました。

けれど、なぜだろう。ぼくは疑問に思いました。なぜ、シスターたちが魔女のもとで働いているのか。それは多いに疑問でした。聖と魔。それは本来、対立するもののはずだからです。

(もしかして‥‥‥!)

ぼくは気づいてしまいました。シスターたちは、きっと、あの魔女に呪いをかけられ、働かされているに違いないのです。美しく若いシスターに嫉妬をした魔女が、彼女らに呪いをかけ、あのフランソア喫茶室から出られないようにしているのです。

「あなたたちがここで年を取ってよぼよぼのお婆さんになるまで出しません。あなたたちはこの中で若さと美しさを少しずつ少しずつ失ってゆくのです」

きっと、魔女がそう言ったに違いないのです。おそろしく、かわいそうな出来事です。

ぼくは心に決めました。そのうち、ぼくがあの魔女を倒して、あのシスターたちを解放してやろうと。けど、そのためには荒れ地の魔女に対抗できるだけの魔力が必要です。ぼくが魔法を使えるようになるまであと七年。まだかなり時間はかかりますが、いずれ必ず、強力な魔法使いとなって、彼女らを救出してやるのです。

そんな魔女と捕われのシスターが営んでいるフランソア喫茶室。古き良きヨーロッパの空気をたたえた空間とおいしいコーヒーが、静かにぼくたちを待っています。


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2008/06/21

公募ガイドに導かれし者

きょうは楽しい一日であった。

まず、部屋を片付けた。大掃除ではないが、中掃除をした。床に敷いてあった布っ切れ(ラグマット)を取り去り、クローゼットにぶち込んだのである。その際、クローゼットもいくらか片付けた。すると、パソコンを購入する前に手書きでやっていた頃の日記が出てきた。びっしりと文字の書かれたレポート用紙の束。ぼくはそれを見て赤面し、りんごになった。

さっぱり。フローリングむき出しの部屋は、いい感じ。さむざむしくって涼しいのだ。よい。じす、いず、ぐっど。人を呼んで、麦茶でも出したい気分である。

それから、公募ガイドをみていろいろなマスコットの名前や標語、川柳などを考えた。楽しい作業であった。賞金が目当てである。賞品が特産品とか、ブルーベリー10年分とか、そんなものは飛ばして、金が貰えるものを選んだ。さいきんはほとんどがメールやウェブのフォームで応募できるから便利である。もと手が雑誌代しかかからないのだから。

今後はエッセイや短編小説とかも書いて応募していこうと思う。お金が欲しいからだ。美談をでっち上げて、審査員を騙してやろうと思うのだ。うへ、うへへへへ。か、カネぇ! カネ出せぇ! むしゃむしゃ。

そんなことをしつつ(カレーを食べつつ)、いまはもう十時半過ぎ。もうすぐ一日が終る。メインの計画として考えていた月曜日の予習と期末試験の準備は手つかずだ。さっぱりだ。

北方領土返還要求の標語とか、考えてる場合じゃなかった。


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2008/06/22

失われた職を求めて

職を失ってはや二ヶ月。失業手当も出ない大学生の身としては、そろそろ職を探さないとやばい。もはや家庭教師の生徒が見つかるのを待ってるわけにもいかないのだ。

けど、サービス業はあまりやりたくない。「いらっしゃいませ」と言おうとすると「いらっちゃいまちぇ」になってしまうからだ。店員として働くとロリキャラになるという、困った持病があるのである。アイスコーヒー一つ運ぶのにも、よろよろしながら「よいしょ、よいしょ」といったありさまである。

それなら、力仕事はどうだろう。この場合はロリにはならない。しかし、ラッコの本能に火がついて、こんどは別の不都合が生じる。

ぼくの曾爺さんはラッコに似ている娘に恋をして、結婚を認めてくれない家族の意見を押し切ってそのラッコ似の娘と駆け落ちをしたのだが、いざよく見てみるとその娘は人間に似たラッコであったことが判明した。という話を、小さい頃水槽に浮かぶ爺さんに聞いたことがあるが、そのラッコの血が騒ぐのである。ダンボールを運ぼうにも、お腹の上でべこべこに叩いてしまってすべて台無しにしてしまうのだ。

それなら接客以外の仕事、たとえば大学の食堂の調理なんかはどうだろうと考えたが、ぼくは食いしん坊なので料理をぜんぶ食べちゃうからだめなのだ。よしんば食べるのを我慢したとしても、溢れ出すよだれでご飯がべちゃべちゃになってしまう。きっとすぐに首だろう。

こうやってさまざまな選択肢を考慮してみた結果、塾の講師がいいんじゃないかと思った。それならばいずれの癖も出ないから大丈夫だ。セクハラだって我慢する。ただ、子どもに勉強を教えるとついつい子どもの鼻の穴にシャーペンをつっこみたくなるという癖はあるが、それならペンの尖ってる方を上に向けないよう注意すれば正味問題ない。

とりあえず塾講師がベストの選択ではないか、ということにはなったが、ぼくはバイトをやりたくないのだ。それに、そもそもやる気がない。願い下げである。娘を人質に取られてもやりたくない。

ぼくは、夫に愛想を尽かした金持ちの人妻を探しに旅に出る。

2008/06/26

ドリアン・グレイ

今日は楽しい一日であった。たぶん、久しぶりにいい小説に出会えたからだろう。もしくは躁鬱病でいうところの躁状態だからだろう。

火曜日にワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を買った。それからきょうまで、ドリアン・グレイの虜である。しかし、いよいよ物語はクライマックスへ‥‥‥。美しい青年ドリアン・グレイの魂が封じ込められた絵は、彼が犯した罪によってどんどん醜悪になり、ついに殺人にまで手を染めた彼は精神的に追いつめられてゆく‥‥‥。

おもしろい小説をお探しの方はぜひ読んだらいいと思う。光文社の古典新訳が出ているから。それと、ネタばれになるから、これから読むという人は上の段落を読まない方がいいだろう。

今日、学校での用を済ませると、ぼくはこの頃お気に入りのスタバにいった。スタバでパスタを食べた。いや、パスタは食べなかった。コーヒーを飲んだ。

この店にはいつもだいたい女子高生と外国人がいる。その他は大学生とよく分からない大人たちだ。ぼくはきょうは女子高生と外国の女性にはさまれてご機嫌であった。できるなら外国人のミスに声をかけて、日本語とかを教えたり英語とかを教えてもらったりしたいくらいだ。(しかしチキンなのでできない)

それと、近くの席に風変わりな男と女がいた。男は30代中盤くらい、女はもう少し若いようにみえた。男はやけにキザで、バブル期のテレビドラマに出てきそうな雰囲気であった。紙を見ながら得意げに女性に何か教えていた。

「うん、ここはもう少し論点を明確にして‥‥‥というか、刺激的な内容にできると思うな。あと、主語がわかりにくいね。ここの『決して』の使い方が‥‥‥」ということであった。

ときどき「普遍性」とか「自己という概念」という単語が男の口から飛び出していたからたぶん哲学の話題で、とても興味をそそられたけれど、8:2で女子高生に注意がいってたので詳しいテーマまでは分からなかった。

ぼくの右隣でその女子高生は勉強をしていたのだけれど、実際、もし右手で本を、左手でコーヒーを持ってなければすぐさま抱きついていただろう。唇がコーヒーで火傷していなかったらキスしていただろう。ドリアン・グレイとスターバックスに、しぶしぶながらも感謝の意を表したい。

ところで、『ドリアン・グレイの肖像』という小説は、さいごには主人公ドリアンが自分の魂が封じ込められた肖像画をナイフで突き刺し、なぜか自分が死んでしまうというオチである。

日記のオチが思いつかないから小説をオチを書いた。これでがまんしてもらいたい。
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