2008/04/01

発表

突然ですが、学生結婚することになりました。

ぼくにはつきあいはじめて1年ほどになる恋人がいるのですが、彼女が身籠ったため、あと1年で就職するということもあり、結婚を決めました。

今後は忙しくなるため、これまでのようにブログを更新できるかわかりませんが、これからもよろしくお願いします。

それにしても、新年度の初日ってのは気持ちがいいですね。

2008/04/02

よく道を尋ねられる

皆様、よいエイプリルフールを過ごせたでしょうか? ぼくはたとえ一名だけとはいえ、リアクションが頂けたことに感無量の思いでございます。

もちろん、結婚など夢のまた夢。それに、彼女が身籠るどころか、彼女居ない暦23年だし、なんなら就職の予定もないんだけど。はははっ。(棒読み)


さて、その話は置いといて、きょうの話題なのだけど、ぼくはよく道を尋ねられる。

どういう了見でこの地理音痴のぼくに道を尋ねるのか問いつめたいのだけど、頻繁に道を聞かれる。

高校生くらいの頃から、地元でならまだしも、旅先や詳しくないところでも道を聞かれたものだった。東京に遊びに行って、山手線の内回りと外回りも区別もつかないのに東南アジア系の外国人にどうやって目的の駅まで乗り継いだらいいのか聞かれたし、京都に来て間もない頃に、ぼくが迷っている最中だというのに、清水寺の近くで韓国人に道を聞かれた。

ひどいのは、ドイツのミュンヘンに行ったときにも道を聞かれたこと。こちとらばりばりのアジア人の顔つきだというのに、駅はどちらですかと英語で聞かれ、駅でイスラム系の人に電車の乗り方を尋ねられた。

ぼくは初対面の場合、それほど好印象を持たれるタイプではないというのに、これはどういうことなのか。あるいは、そういう星の下に生まれついているのか‥‥‥。

きょうも、学内バイトの休憩中に、新入生とおぼしき女の子に購買の場所を聞かれた。今回は見知らぬ土地ではないし、相手も日本語で話しかけて来たので、難なく場所を教えてあげられたのだけど、その女の子がめちゃめちゃかわいかった。

いや、かわいいっていうか、話し方がおどおどしていて、純度100%って感じで、箱入りのヤツを取り出したばかり、みたいな感じだった。きっと、お父さんはステッキを持って散歩に出かけるし、お母さんはでっかい帽子にヒラヒラのついた日傘で散歩に出かけるだろうなっていう、十中八九召使いの爺やがいるはずだよね、っていう人だった。

ああ、あんな子とつきあいたい‥‥‥。

けれど、彼女ができて、幸福な恋愛をして結婚に至るなど、所詮ぼくには妄想の中だけの話なのでしょう。はははっ。(涙で頬を濡らしながら)

2008/04/04

ハナ

桜の舞う京都御所。古都の政が行われていたこの場所は、今の季節、うららかな陽気と満開の桜で彩られる。

きのう、ぼくは友人の女の子とふたりで留学生の生活サポートというものを行った。銀行口座の解説やキャンパスの案内というお手伝いである。一通り必要なことを行ったあと、ぼくらは京都御所に散歩に出かけたのだ。

部屋に閉じこもっていたばかりのぼくは、すぐ近くにある京都御所がこんなに美しく変身していたことに驚いた。ぼくらの頭の上には天蓋のように桜の木の枝が覆いかぶさり、散りゆく花びらが鼻をくすぐってゆく。はるばるドイツからきた留学生もその光景が気に入ったようで、カメラのシャッターを何度も切っていた。

ぼくはデジカメを忘れたので、携帯電話のカメラで桜を撮った。そして、ふと横をみると、友人の女の子の、桜に見入る顔があった。長いあいだ友達としてなかよくしてきた彼女は、もはや妹のようにさえ思えて、異性として意識しないほどになっていたが、この時はなぜか、彼女を美しいと思った。

ぼくは、携帯のレンズを彼女に向け、シャッターを切った。

「なんであたしの顔撮ってるの?」

彼女は少し笑いながら言った。勝手に写真を撮ったことを、怒ってはいないようだった。ぼくは答えた。

「いや、きみの顔が花のように美しかったから、つい」

すると彼女は、

「ふんっ」

と、鼻で笑った。

これが彼女なりのジョークだったのかどうかは、わからない。

2008/04/06

また道を尋ねられた

健康診断のアルバイトがおわった。

合計4日間、ぼくは働いた。ここ2ヶ月は家にひきこもってばかりの隠遁生活を送っていたぼくだけれど、朝7時に起きて暗くなるまるで労働するという生活もできる。ぼくはそれを発見し、社会の中で生きてゆく自信を得て、にんまりと微笑んだ。

このバイト、日によっていろいろな場所にまわされた。はじめは視力検査、次に尿検査の受付。そして、きょうは午前中に案内係、午後に受付をやった。

実はきょうの健康診断は女子の日で、受診しにくるのは全員女だ。女の波に飲まれながら、ぼくは案内をした。

「X線の検査を受ける方はここをまっすぐ行ってください!」

「ここは身長・体重検査の列です!」

意識が朦朧としつつ、ぼくはそんな言葉を何度も繰り返していた。しかし、そんな中でも、会場に来る女の子1000人以上をすべてチェックし、

(素材はいいけど、ファッションがなぁ‥‥‥)

(かわいいけど、知性が足りないなぁ‥‥‥)

(おっ、こいつは100人に一人の逸材!)

などと評価を下していたことは、言うまでもないだろう。

けれど、そうやって1000人以上の女性遍歴を経たぼく(千人斬りの漢)にいちばん衝撃を与えたのは、ある一人の一年生だった。ぼくが案内をしているとき、彼女は尋ねてきた。

「先生、次はどの検診を受ければいいんですか?」

そのおっとりした声、緊張した話し方、絵に描いたようなお嬢様風の雰囲気、数日前にぼくに購買の場所を聞いてきた子だった。ぼくはすぐにそれに気がついた。彼女の方は、ぼくのことは覚えていない様子で、むしろ白衣を着ていたというだけで先生だと勘違いしたようだ。

二度目に話す名も知らぬ少女は、やはり典型的なお嬢様だった。

もしもう一度話しかけられるようなことがあれば、お茶に誘おうかと思っている。

2008/04/09

存在してますか?

こんばんは、存在している人です。実在しています。

きょう、レヴィナスという茄子の書いた本を読んで、存在がどうのこうの、ということを考えました。けど、内容が難しくてよくわかりませんでした。存在? どうでしょう? ぼくって存在してますよねぇ?

この本は現代の哲学についての授業で紹介された本なのだけれど、これとは別に、もう一冊、バタイユというバターが書いた『呪われた部分』というのもすすめられた。テキストとして指定されていた。

はて、『呪われた部分』‥‥‥?

いったいどこが呪われてしまったのだろう? くるぶしだろうか? ヘソだろうか? わからない。そもそも、だれがだれに呪われたの? どうして呪われてしまったの? 魔女の家にピンポンダッシュでもしたのだろうか? あと、全体を呪わずに部分だけを呪ったのは、どうしてなんでしょうか?

現代の哲学書のタイトルは、よくわからないものばかりです。

あ、話は戻りますけれど、みなさんは存在していますか? ぼくはコミュニケーションしている人間はたいてい存在していると思い込んでいるのですけど、もしぼくの勘違いだったら教えてください。

「あたし、存在してないもん!」

って、ちゃんと言ってください。

2008/04/10

謎に満ちたこの世界

世の中は、わからないことばかりだ。

たとえばきょうの一限の講義。まあ、朝9時などという早朝に講義があること自体意味不明なのだけれど、それは置いとくとして、教授がどう見ても爆発に巻き込まれたあとだったのは、なぜだ? ボサッとした老後のトータルテンボス(スキマスイッチでも可)の片割れを思わせる頭髪に、真っ黒の顔。いったいどんな類の爆発に巻き込まれたのだろう?

他にも、ぼくには銅鐸の使用方法がいまだにわからない。なんだ、銅鐸って。何に使うんだ? 鐸ってなんだ、鐸って。あと、ストッキングってのもわからない。何のためにあんな薄いもんを足に装着するのか。靴下履けよ。パンティ・ストッキングって‥‥‥。パンツと靴下履けよ。

ああ、わからない。わからない。ワカラナイ。どうして5円玉と50円玉には穴を空けて、500円玉には空けないのか。どうして有権者は桜パパに投票したのか。どうしてタモリはサングラスをかけているのか。どうしてカレーライスのときだけ牛乳とご飯がいっしょに食せるのか。どうしてあの子はぼくに振り向いてくれないのか。

わからないことだらけの世の中で、この頃、いちばんわからないもの──それは、友人たちが口々につぶやく「ナイテイ」だの「シューカツ」だの「ES」だのといった単語たちだ。最後のはES細胞(いろんな臓器に変化できる万能細胞で、その研究に現在先進各国がしのぎを削っている)のことだとしても、他の二語は、ぼくの辞書には載っていない。

っていうか、そういう単語のとこだけ、マジックで塗りつぶしてあるんだけど。

どうしてみんな働こうとするのかも、わからない。

2008/04/13

お嬢様

お嬢様は、実在する。

人は往々にして、いろんな存在を小説やドラマといったフィクションの中だけのものだと思い込む。これは無理もないことで、実際、フィクションの中で描かれる典型的な人物なんて、ほとんどいないのだ。ひょっとしたら、あまりに非現実的だからこそ、人はそういう物語に安心して浸れるのかもしれない。現実からの逃避を求めて‥‥‥。

しかし、ときどき、ほんとうに稀にだけれど、フィクションのような人物が目の前に現れることがあるのだ。

たとえば、一人称に「おれ」を用いる女の子の存在を、あなたは信じられるだろうか? きっと、「そんなものアニメの中だけの存在だ」と、一笑に付されるでしょう。けれど、ぼくは大学でそのような人物に出会い、目から鱗が落ちる思いをしたのです。一人称に「おれ」、語尾は「だぜ」。

ああ、人は、どれほど多くのことを、現実に起こるまでは「あり得ないこと」だと思い込んでいることか。

前置きが長くなったけれど、お嬢様という存在も、この現実の世界に、実在しているもののようです。

ここ数日、二度その人のことを書いたのだけど、もう一度確認しておくと、今年の新入生に一人、そういう人を発見したのです。はじめて道を聞かれたとき、ぼくはそのお嬢様オーラに打ちのめされました。その雰囲気、言葉遣い、清楚な外見。どれを取ってもお嬢様そのもの。ぜったい祖先は貴族だし、身内に国会議員の5、6人はいるし、なんなら皇族の血が入ってるはず。吉野家とか一回も行ったことない。っていうか、牛丼の存在自体を知らないはず。それくらいのお嬢様とお見受けした。

彼女にはその後、もう一度、ぼくのバイト中にものを尋ねられたことがあり、完全に顔を覚えてしまった。見まごうことなきお嬢様として。

さて、きょう、ぼくが大学の食堂に行ったとき、またしても彼女が目の前にあらわれた。ぼくがもう食事を終えようというとき、彼女はレジを通過して席に着くところだった。ぼくはもう帰ろうかと思っていたのだけれど、彼女の生態が気にかかり、彼女の後ろ姿が見えるところまで移動し、携帯の画面を見てカモフラージュしつつ、観察を開始した。(携帯って、ほんとに便利な道具ですね)

すると、一度席に着いた彼女はおもむろに立ち上がり、お盆を持ってドレッシングなどの置いてある一角に向った。そして、たくさんあるドレッシングを手に取って物色しはじめた。

(ソースを探しているのか?)

とぼくは思った。お盆の上にコロッケがのっていたからだ。あまりのお嬢様ゆえに、入れ物の形からはドレッシングとソースの区別がつかないに違いない。だから、いちいちラベルを確認しているのであろう。そう思った。きっと、家にいるときは専属のシェフがすべて調理してテーブルに運んでくるものだから、そんな知識もないのだ。イカリとかカゴメとか知らないんだ。

だが、ぼくの予想は見事に裏切られた。

なんと、彼女はさんざん迷った挙げ句、ドレッシングをコロッケにかけたのだ。

いやいやいやいや。そんな馬鹿な。ぼくは動揺してしまった。なぜ、あれだけ迷ってドレッシングをコロッケに? 考えられない。

しかし、驚きはこれだけでは終らなかった。彼女はさらに別のドレッシングに手を伸ばし、その蓋を開けたかと思うと、ご飯の上にかけたのだ。

「ジーサス!」

ぼくは心の中で叫んだ。キリスト教徒でもないのに、神の子の名を叫んだ。それほどにショッキングな出来事であった。

しかも、冷静に分析するなら、彼女はドレッシングをまったく振ってなかったのだから、たぶん上に浮いてる油ばっかりかかってしまったに違いない。きっと、食事は専属のシェフが毎晩調理してテーブルに運んでくるものだから、ドレッシングは振るものだということすら知らないのだろう。キューピーとか知らないんだろう。

ドレッシングをコロッケとご飯にかけた彼女は席に戻り、一人食事をはじめた。少し話はずれるけど、ぼくは一人で食事をする女の子っていうのが好きで、端的に言うと、すげぇ萌える。なんか、萌える。友達といっしょに食べてるとおしゃべりがメインみたいになってしまうんだけど、一人だと「食べる」という行為が中心だから、こう、食べてるねー! って感じがして、なんか、いい。それに、群れないっていうのが、女の子の美しさをひきたてるっていうところもあって(4000字ほど省略)。

少し話がずれたけど、そうして、彼女は食事をはじめたのでした。で、ここまでぼくはずっと携帯でカモフラージュしつつ彼女を観察していたわけだけど、ふと、自分がストーカーと呼ばれる人種になっていることに気づき、ポリスに手錠をかけられる前にその場を離れたのでした。

ぼくのような肥だめ出身の下層民には難しい話かもしれませんが、なんとかして、あの典型的お嬢様である彼女とお近づきになりたいものです。そして、専属シェフが腕を振るったフランス料理を、彼女と、その両親と、たまたま遊びにきた各国首脳らといっしょにいただきたいものです。

2008/04/16

ドラゴン・ステーキ

眠い。眠りたい。

新学期に入ってからやけに規則正しい生活になっていて、この時間には魔王級に睡魔がぼくを襲ってくるのですが、おやすみの日記を書いてからベッドに潜り込もうと思います。

きょうはイタリア語の授業のみでした。けれど、いきなり明後日のゼミの発表をあてられたぼくは、空いた時間にレジメ──大学では発表用プリントをこく呼ぶという習わしがあります──の準備をしました。レジメができないと教授にギガデインをくらわせられるので、ぼくは必死にがんばりました。が、途中、参考文献を読んでいたらそれがおもしろくて読み耽ってしまい、時間だけがいたずらに流れるという始末。おお‥‥‥。

イタリア語で左前に座っていたかわいい女の子をチラ見しつつ授業を終え、ぼくは家庭教師先に向いました。途中でドラゴンが3匹出たので2匹を捕獲し、喧嘩させてお互いを火炎でほどよく焼いて焼きドラゴンにして食べました。(きょうはお昼がはやかったのでその時間にはお腹がすいたのです)

家庭教師先では子どもを塾に通わせてて忙しい、という理由できょう限りで終りに、と告げられ、悲しい思いをしました。ぼくらは先生と生徒というただれた関係の中で身も心も消耗し尽くし、離れるしか選択肢はなかったのです。

帰宅。

それから、現代哲学の時間に配られたわずか数頁のベンヤミンのエッセイ『経験と貧困』を読んでいくらか感動。その主旨は、「うんざりするほど円熟した文化の中では経験はその豊かさを失い、新たな貧困が生まれる。その貧困の中では、人々がまったく新しく文化をつくり出さなければならないような未開状態が生ずる」というものでした。

ふむふむ、なるほど。さすがヴァルター・ベンヤミン。いいことを言うよ。と関心していたら、プリントが上下逆さまだったことに気づきました。

そういうわけで、さようなら。家庭教師の職を失い、ぼくは永遠に眠りたい気分です。

2008/04/18

教科書のせいで

学期のはじめは、何かとお金がかかる。そういうわけで、深刻な金欠状態である。

この貧困を打開するため、紙に丁寧に諭吉の顔を描いてなんとか1万円札を自作できないかと試みたのだけれど、服をスーツに描いてしまって失敗に終った。諭吉はスーツなんか着てないらしいのだ。

次に文明の利器に頼ろうと思い立ち、コンビニのコピー機で1万円札をコピーしてやろうと思った。たった10円で1万円札が2枚に増えるという、正に奇跡の錬金術である。が、肝心の1万円札を一枚も持っていないことに気づき、この計画も頓挫した。あと、法的に問題があることにも気づいてはいた。

そんな貧困の中、さらなる悲劇がぼくを襲う。

大学というところは授業があって、たまに教科書が必要なものがあるのだ。そういうとき、ぼくらは教科書を買わなきゃいけない。どういうわけか、大学の教科書というのはふつうに書店に置いといたら世界が滅ぶまで売れないようなマイナーな書物ばかりで、中には教授自身の著書を教科書に指定して生徒から印税を巻き上げるという悪行に手を染める教授までいてチクショウなんでお前の2000円近くする本など買わなきゃいけないのか!

はぁはぁ‥‥‥。つい感情的になってしまいました。申し訳ありません。

話を戻すと、教科書が必要になるんだけど、この出費はかなり痛い。まともにすべて買ったら1万円を超えることもしばしばある。そこで偏差値95のぼくは考えた。「中古で買えばいいじゃないか!」と。

そこで日本の振るホニャ‥‥‥おっと、タイプミス。日本の古本屋というサイトを使って必要な本を検索して注文。届くのを待った。届いた。しくじった!

本を、間違えた‥‥‥。

いや、タイトルはおなじだったのだ。だけど、よく見たら、間違えて買ってしまった本は翻訳書で、著者は教科書のとは違う人だった。教科書の方は、その間違えた方の翻訳者が著者だった。ぼくは自分の不注意を悔いた。しかし、すでに郵便局のATMに吸い込まれた英雄は戻ってはこない。

ぼくは涙で袖を濡らしつつ、大学の教科書販売コーナーに行って、正しい方の本を購入した。3650円。ぼくは英雄4人に別れを告げ、代わりに1冊の本と数枚の鉄くずを手にしたのだった。はぁ‥‥‥ただでさえ金欠だというのに、こんなもののために‥‥‥。

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こんなもののために‥‥‥3650円も‥‥‥。

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はぁ‥‥‥。

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はぁはぁはぁ‥‥‥!

2008/04/21

おしゃべり欲求

おしゃべりが、したい。

とにかく新学期になってから人としゃべることが少なくて困る。ぼくのおしゃべり欲は抑圧され、何かこう、精神分析的な、フロイト的な、そういうカウンセリングが必要なほどだ。しゃべらなければ、生きていけないからだなんだ。

それというのも、4年生になって友人たちが留学したり就職活動したりしてるから。去年みたいに、おなじ授業を受けていっしょにご飯を食べて、という時間がなくなってしまったんだ。

こういう状況だから、この前、おなじ授業を取っているおなじ学科の女の子と会話しようとしてみた。それはあの、このブログをむかしから読んでくれてる人なら知っている例の野口さんなんだけど、その子といっちょ話をしてやろうかと目論んだ。

けれど、心の扉が日銀の金庫とおなじくらい厳重な野口さん。そうかんたんにはいかない。ぼくがまず、前の週に野口さんの座っていた席の近くに座って待っていたら、残念なことに、彼女は先週とおなじ席には座ってこなかった。悲劇である。

また、きょうの昼過ぎからの授業で、こんどは別の、学年が一つ下の女の子としゃべってやろうかと思った。6人の学生がいて紅一点のその子。他の男たちが放っておくものだから、ここぞとばかりにモギってやれ! うぉお! と雄叫びをあげたはいいものの、また席が遠くてミッションは不成功だ。

しゃべりたい。しゃべりたい。

ぼくは悶々としていた。このままでは精神が分裂しそうだ。そんな暗澹たる気分を抱え、学食でひとりでご飯を食べるぼく。周囲からはぼくに対する陰口がひそひそと聞こえてくる。

「やあねぇ、友達が少ない男って」

「見てあれ。チキン野郎がチキンを食べてるわ」

「あんな男の胃に収められるなんて、稲がかわいそう‥‥‥」

「顔がうんこに似てる」

ぼくは黒いシルエットに囲まれ、小動物のようにぷるぷる震えていた。そうやって、ご飯を食べていた。学食のおばちゃんが乱暴に釣り銭を渡すものだから、手から滑り落ちて10円玉が入ってしまった白いご飯を食べていた。

すると、はす向かいの席に、知らないおじさんが座って来た。風貌からして、学生という線は考えづらく、教員ということも考えづらい。強いて言うならば、某半島の北に位置する国家の元首に似ておられる。

で、そのおっさん、ふつうにしゃべりはじめた。一人で。

そのしゃべりは独り言を超えており、すごくはっきりしていた。しかも、よく聞いてみると、発言の中に「おたくが」とか「おたくの」という二人称が含まれており、会話の「相手」がいることがうかがえる。このおっさんには、「相手」が見えているのだ。

「‥‥‥ということなんですよ、小島さん」

会話の「相手」は小島さんという名前らしい。誰だよ。

ぼくはあまりに気味が悪く、なるべく急いで食事を済ませた。こんな、一人でぶつぶつと、しかも相手が見えているかのようにしゃべる人の近くにいるのはごめんだ。

けど、そう思いながらも、これは他人事ではないんじゃないかという気もしたのだ。ぼくだって、あまりに長いあいだ人としゃべれなかったら、あるいは、幻覚の人間が見えて、その人と会話する、なんてことに‥‥‥。

そうなる前に、だれか、ぼくとお話してください。京都に住んでるんです。メアドはこのブログを調べればかんたんに見つかります。どうかメールください。ただし、かわいい女の子限定で。(年は18から30くらいまでで、髪は鳥居みゆきみたいなのがベストです。身長は155から170くらいで、目の下のふくらみがある人。映画や小説が好きな人がいいです。メールの交換からはじめましょう。では、メール待ってます。ハート)

2008/04/23

ソースデー

夏だ夏だ夏だ! そう、きのう、夏になったじゃないですか。いきなり、予告なしに夏になったじゃないですか。どんなに疑い深い人だって、あの暑さに直面した日には信じざるを得ない。それほど明白たる夏。きのうはそんな日でした。だから、ぼくはもう夜になると「熱帯夜はイヤや!」と微妙にうまいことを行って毛布をはねのけて寝てやりました。風邪をひきました。

でも、ぼくは、自分が風邪をひいたことになかなか気づかないという性質があって、きょうも、お昼前後は「花粉症かな?」と思っていました。「杉花粉のやつ、まだがんばってやがるのか」と。けど、目は痒くないし、花粉症の症状とも違うため、「疲れてんのかなー?」と思いはじめ、読書に集中できないことに怒りを感じ、「ちっくしょー、おれの体どうなってんだよー?」とキレはじめ、それから数時間後に「あ、風邪か」との閃き。遅い。

さて、あすもぼくは授業があります。それも、木曜日は一週間の中で唯一「一限」と呼ばれる魔の授業があるのです。「一限」。これは数々の大学生に恐怖を与え、果ては留年という最悪のモンスターを召還してしまうこともあるという悪名高き授業。

けど、ぼくは、実は先週、この一限を無視したのです。だって、木曜日はその前の週も雨だったのです。そりゃあもう、二週間も連続で一限の日に雨が振ればイヤにもなりますよ。ぼくは天にキレて、二度寝を決め込みました。で、あしたもまた雨だってんですよ。最悪です。ブルー・サースデーです。

サースデーといえば、ぼくは小学校の頃、英会話教室に通っておりました。

最初は「好きな女の子が通ってるから」という理由で通いはじめたのですが、見事に景子ちゃんとは別のクラスになってしまい、接する機会はゼロ。そもそもぼくが内気だったから話しかけられるはずもなく、ただただ憂鬱な授業が数ヶ月続きました。

そんなある日、曜日を英語で言おうという授業とき、事件が起こりました。

「マンデー、チューズデー、ウェンズデー、サースデー‥‥‥」という先生の発音のあと、教室の餓鬼共が「ソースデー! ソースデー!」と大はしゃぎ。「ソースの日だ、ソースの日だ」の大歓声。ぼくは違う街のその英会話教室で友達なんていませんし、ひどく内気だったものだからそのソースデー・ウェーブにのれずにいました。ただ、内心で「別にそんなに似てねぇじゃん」と、冷静なツッコミを入れていました。

が、そこで想定外の一手が。

「清水くん、木曜日は英語で?」

そう、前から順番に曜日をあてていき、生徒に英語で言わせはじめ、なんと、ぼくが木曜日にあたってしまったのです。

月曜とか火曜は、前の方に座ってる元気のいい女が答えていました。その女は、こう、ちょっとした番長みたいな奴で、外国人の男の教師に卑猥な英語を言っては「これなんて意味?」と訊いてたようなビッチで、いまごろはデトロイトかシカゴあたりで薬漬けになってると思うんですけど、そんなのの後に、ぼくに順番が回ってきた。

ぼくは終始冷静であったものの、頭の中には教室中のソースデー・コールが鳴り響いている状態。もはやそれしか思いつかない状態。そこでぼくは、静かに、

「ソースデー」

と言いました。

その瞬間の、教室中の(えっ!?)という空気。あれは、なんとも言えないものがありました。もしぼくが教室の人気ものであったなら、笑いの一つも取れたでありましょう。が、いつも静かで大人しい、友達のいない生徒の口から発せられた「ソースデー」は、ただただ、冷たい沈黙を生ずるだけなのでした。

きょうは風邪をひいたことに加え、自閉症についてネットで調べていたら、アスペルガー症候群の症状の九割が自分にあてはまり、「おやおや、ぼくってばアスペルガー?」と思って簡易チェックをしてみたら見事にその傾向がみられ、びっくりしています。小さい頃、コミュニケーションが異常に苦手だったのはそのためでしょうか?

ま、今となっては、どうでもいいことです。素を出してしゃべると、よく「理解できない」とか言われるけど。


2008/04/26

お買い物

テーラージャケットってあるのに、メーガージャケットとかギーガージャケットってないんかな? ないよね? だよねだよね。それって容量少なすぎて、缶コーヒーも入らないもんね。紳士なら、内ポケットに『悪の華』が常識だよね。

さて、きのうは大学で授業があったんだけど、ゴールデン・ウィークを先取りして休みはじめる輩もいて、心持ちキャンパスにいる人数が少なかった。だけど、ぼくはまじめだから、ちゃんと出て、しかる後に休みを迎えるのだ。

それで、今日は自転車に颯爽とまたがって風を切り、京都のおしゃれの発生源である四条や寺町にいってきた。そこでお買い物というわけだ。きょうの日記ではその一部始終を書きたいと思う。微に入り細を穿ち、針小棒大に、破天荒に、書いて以降と思う。誤字だって気にしないほどの腹づもりである。

まずぼくが足を運んだのはジュージヤだった。いや、ジョージアだったかもしれない。とにかくCDやDVDが豊富に取り揃えられているお店だ。そこで店内をぐるりとまわって古典落語のDVD欲しいなー、代書屋おもしろいよなー、とつぶやきながら鳥居みゆきの『ハッピーマンデー』を手に取った。レジに持って行き、ぼくは封筒から3,000円ほどを取り出して購入した。店員が、キチガイを見る目つきで、ぼくを見てきた。きっと、このDVDは、そういうものなのである。

1,500円で叩き売られていた髭男爵のDVDを横目で流し見て、ぼくはJEUGIAを出た。いや、JOGIAだったかもしれない。それは永遠の謎である。

次に向ったのはジュンク堂だ。いや、工藤淳だったかもしれない。待てよ‥‥‥キンカ堂? イトーヨーカ堂? 伊藤洋菓堂? とにかく、本を売っているところだ。

そこで洋書のコーナーを見てみた。だけど、ぼくは探し求めているドイツ語の本はなくて、洋書と言いつつほとんどぜんぶ英語だった。お、おまっ! 洋といえば英語だと思って馬鹿にしやがって畜生! ドイツとかフランスとかイタリアをなめてんのか! 英語圏なんて西洋のごく一部でしかないのに、調子にのりやがって! Mother Fucker!

ぼくは英語が世界の威信言語になっている現状に腹を立て、ジュンク堂を去った。そして、靴を買うためにABCマートに向った。

そこに並べられたるはスニーカーや革靴といった靴の数々。1年半前に買ったたった一足の靴しか持たないぼくには、もう一つの靴が必要なんだ。ふるびたコンバースの靴を靴箱に入れておいたら、湿気のせいでカビが大繁殖してしまったから捨てざるを得なかったし。ぜひとももう一足。

おや、これはイタリア製。残り一足ときた。

「お客さま、よかったら履いてみてください」

女の店員が話しかけてきた。ここで、数年前のぼくだったらたじろいでしまうところだが、今のぼくはもうそんな弱くはない。人とちゃんと話せるんだ。回転寿司に行ったって、自分で注文できるんだ。それくらい大人だ。(回転寿司には、もう何年も行っていないけれど)

「あの、足が24.5cmなんですけど、サイズ合いますかね?」

ぼくはそう告白した。ぼくは足のサイズが24.5しかないからだ。

この小さい足のせいで、靴を探すときには苦労を強いられる。せっかく気に入った靴があっても、「こちら、26以上のサイズしか在庫がないんですよ」などと言われ、裸足で家に帰ったことも一度や二度ではない。神様がなんでも一つ願いを叶えてくれるというのなら、ぼくは足のサイズをあと2cm増やしてもらうだろう。だけど、

「この靴は25.5です。少し大きいですけど、ナカジキを入れれば大丈夫だと思いますよ」

おお、なんと。ぼくの知らないうちに、そんな便利なものが発明されていたとは。ナカジキなるものを使えば、サイズが大きい靴でも履けるというのだ。すばらしいと思わんかね? ムスカ大佐はそう言った。

そうしてナカジキを入れてみると、靴はぼくの足にベストフィットした。「イタリア製の靴はいい」と、イタリア語の先生が言っていたけれど、それはどうやら本当であるようだ。ぼくは、

「この靴ください」

と言った。そして、

「それと、きみのハートも頂けるかな?」

と付け加えた。ぼくの手渡した薔薇の花は彼女の心を揺り動かすかに思えたが、それは幻想であったようで、たった一言、「ただいまソールドアウトの状態です」。

シンデレラを夢見る少女たちが、ABCマートの敷居を跨ぐ。歩道にまで並べられたさまざまな靴には目もくれずに奥に進み、ガラスの靴を求めている。

「すいませーん、ガラスの靴くださーい」

幸せをつかみ取るためには流血すら厭わぬ彼女らの勇気を見よ。ビシッと割れてしまえば床一面が血の海と化するであろうガラスの靴の恐怖。それさえ、彼女らの情熱を鎮火させることはできないのだ。しかし、残念なことに、ABCマートには、ガラスの靴は置いていないのだ。ただ、それだけをここで言っておきたかった。

次に向ったのは洋服屋。洋服屋は、いくつかの店舗を巡ってみた。まず告白しておくと、ぼくが服を買いに行って服を買う確率は極めて低い。2限のあとに友達と学食に行って空席があり、ストレスなく食事を済ませられる確率とおなじくらい低い。

まずSHIPSに入った。店内をキョロキョロした。店員が一カ所に立ち、ぼくを監視していた。たぶん、店の雰囲気にそぐわない人間だから、不審に思ったんだろう。

(こんなおしゃれなお店にこんな囲碁名人みたいなのがくるとは)

ぼくはいくつかの服をただ手垢で汚し、何も買わないままに店を出た。

次にZARAという店をみつけた。入った。けど、MENSは2階であろうと推測してたのに、店内の表示によると2階もWOMENSで3階はKIDSだということで、ぼくは深く恥じ入って店を出た。通りで男がいなかったはずだ。

それから、別のもっと安い店で、ぼくはさんざん迷った挙げ句、グレーのテーラージャケットを買った。いくぶん流行も過ぎ去った観はあるが、買った。しかし、なぜテーラージャケットというのかは分からない。テーラー? リンド・L・テ−ラー。分からない。

あ、そうだ。その前に、錦通りを歩いたんだった。

錦通りっていうのは、新京極のあたりにある通りで、漬物とか魚とか売ってる。すっごい生臭い通りだ。ハードゲイがバイトをしていた店とかがあるのだ。京都といえば錦通りだなんて言われてるけど、ぼくはこの通りが好きになれなかった。ただ、唯一、町家風のカフェっていうのがあって、そこは入ってみたい衝動にかられた。もし彼女が出来て、いっしょに新京極あたりをデートすることになったら、ここに来よう‥‥‥。そんな妄想をしながら、修学旅行生をかき分けて歩いていた。

中学生や高校生って、見ていてとっても「若いなー」って思う。黒髪で、ワックスとかつけてなくて、バッグや靴もそれほど凝っていなくて。ぼくも精神的には中学生や高校生とそれほど違わないといつも思っているんだけど、やっぱり違うのかなって思う。でも、高校生ならぜんぜんありだし、中学生でも大人びてる子ならいいかなって思う。(通報しないでください)

ではまたお会いしましょう。よいゴールデン・ウィークを。

2008/04/29

子どもの名前

もし子どもが生まれたら、なんて名前にしようかな?

こういうことは、だれもが考えてしまうものだ。たとえ恋人がいなくたって、結婚できる可能性が限りなく低くたって、考えてしまう。神様はぼくらに、空想というセカンドライフをお与えになった。

はて、何がいいだろう?

まず、ぼくの名字が「清水」であることを踏まえ、それとつながりのいい名前がいいと思った。名前は名字と下の名前、セットで名前なのだから。そこで、「いずみ」という名前を考えた。

清水いずみ。平仮名で表すと、「しみずいずみ」。

この、若干回文になっている感じがいい。「氏」をつけて「清水いずみ氏」にすれば、完璧である。よし、将来、子どもの名前は「いずみ」にしよう、と思った。ためしに、こういう名前の人が他にいるのかどうか、Googleで検索してみた。検索結果

この案は、10秒足らずでボツになった。

2008/04/30

二つの卒業

この頃、ときどき、卒業のことを考える。

二浪の末ようやく入った大学にも、もはや三年間通っている。いろいろなことがあったけれど、思い返してみるとあっという間だった。あと、一年。きっと、すぐ来てしまうだろう。入学式の日、あんなに遠かった、卒業という日が。

でも、大学以外に、ぼくにはもう一つ卒業しなきゃいけないものがある。

大学卒業が先か、そっちの卒業が先か。答えは神様だけが知っている。
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