2008年08月24日

萩焼

hagiyaki.jpg

某温泉から、茶碗が届いた。

はじめはなぜ温泉から茶碗が私に届けられたのか、まったく意味不明だった。しかし、ふと思い返してみると、私はしばらく前にいくつか懸賞に応募していたのだった。その中の一つがヒットしたのである。

そこで温泉名をGoogleで検索してみると、案の定そういう応募ページみたいなものがあって、受賞作品のいちばん下に私の作品が掲載されていた。赤面ものであった。

本来ならその作品が書かれたページにリンクを貼るなどしてセルフ羞恥プレイを決め込みたいところだが、いかんせん、テーマが「恋文」で、しかも、俺、相手のファーストネームを書いちゃってる。あと、自分のファーストネームも書いちゃってる。これはだめだ。

ところで、賞品の茶碗であるが、「萩焼」(はぎやき)という焼き物らしく、なんどもお茶を飲んでいるうちに成分が染み込んで色が変るという代物らしい。この色の変化を「七化け」と言い、ファンにとってはたまらないものなんだとかどうだとかそうじゃないとか。

今日から、この茶碗でコーヒーを飲むことにする。
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2008年08月23日

残暑のメカニズム

ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待て夏。

そんなに慌てて行ってしまわなくてもいいじゃないか。いくら俺が毎日冷房使ってたからって、別に、そんな、きみが嫌いだったわけじゃないんだ。だから、さ、機嫌直してよ。ねっ?

え、「秋の方が好き」って言ってたって? 俺が? そんなことないって。あの時の俺はどうかしてたんだ。たぶん、暑くて頭がボーッとしてて‥‥‥いや、きみのせいじゃないよ! あ、うん、きみのせいといえばそうなんだけど、でも、きみが悪いわけじゃないんだ。

だから、そんな急に冷たくしないでよ。寂しくなっちゃうよ。夜、半袖で外に出たら肌寒いんだもん、びっくりしちゃうよ。あの頃の情熱的なきみに戻ってくれ。まだお祭りも行ってないし、花火もみてないんだから。

「どうせインドアでずっと過ごすんでしょ?」だって? まあ、そう言われると言い返せないんだけど。でも、努力するから。俺なりに夏を謳歌するから。わざと直射日光浴びつつ汗だくになってコンビニまで歩くからさ。なんならもう、クーラー使わない。あいつとは縁を切る。口もきかない。それでもだめ?

うんうん、ほんとほんと! 嘘じゃねぇって! お前が四季の中でいちばんだよ。なんたって、いちばん輝いてるもん。冬なんて無愛想で暗いし、春は花粉症でつらいし、秋は八方美人過ぎてイヤになるよ。夏がいちばんさ。だから、もっと俺の側にいてくれよ‥‥‥。

「しょうがないな」

こうして、秋の到来は遠ざかり、残暑が人々を悩ませるのでした。
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2008年08月21日

NOT BURNING

今月から、家庭教師の仕事を再開した。

家庭教師など楽そうだと思われる方もいるかもしれないが、これがそうでもないのである。knowやhimの意味から教えてゆくという、過酷な仕事なのである。受動態の過去形ともなれば、作業は困難を極める。

昨夜は深夜2時まで自分の勉強をしていた(起きたのは昼の1時だが)。そして、今日も夕方からバイトである。しかし、生徒から連絡があり、部活の試合のため休ませて欲しいとのこと‥‥‥。せっかくthoughtの現在形を教えてやろうと意気込んでいたのに、不完全燃焼である。

そういえば、thoughtのghは発音しないのになんであるのかと、存在意義がないじゃないかと、ghバッシングをしつつ僕は自転車で大学の図書館へ向った。たまには部屋以外で勉強するのもいいだろう。

大学につき、図書館の入り口の前まで来て、ふとお尻のポケットに手を当てると財布がない。僕の脳は即座に推論をはじめた。財布がないということは、学生証もない。学生証がないということは、図書館に入れないということである。

また、不完全燃焼である。いや、1mmも燃えてない。
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2008年08月06日

院に向けて

大学院の受験に向けて、勉強をせねばならぬ。

これまではっきり書いてなかったかもしれないが、私はいま通っている大学の院に進学したいのだ。大学の友人が「ナイテー」を取っただの取れなかっただのと一喜一憂している側で「リクナビってなに?」と鼻水垂らす日々である。

七月いっぱいで期末試験を片付けた私は数日間だらけていたのであるが、さすがにそろそろ勉強を再開しないとマズいと思った。このままでは院の試験に落ちる。院に行ったとしても将来は不安だが、ニートになったらもっと不安である。勉強道具とパンとナイフを詰め込んで図書館に向った。

すると、図書館がうるさいのなんの。

自分の試験が終ってたもんだから、てっきり学校全体の試験期間も終ってると勘違いしてた。地方の美術館並にガラガラの図書館を想像してたのに、あれじゃまるで都会のスタバである。混んでる上におしゃべりをする輩もいて、神経が一般人の500%もある私としては勉強どころではなかった。

それでもなんとか2時間ほど粘ったのであるが、粘り気が一般人の20%しかない私はギブ・アップし、部屋に帰った。

その後、家庭教師をやりに自転車で片道30分かけて生徒の家へ。炎天下の中、汗だくで自転車を漕いだ。金欠気味で食事もろくに食べれていない私は、もうふらふらである。

この調子だと、大学院ではなく、病院に入ることになりそうだ。
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2008年08月03日

NHKの話

『N・H・Kにようこそ!』というアニメを観た。

これはひきこもりの佐藤くんを主人公とした青春恋愛コメディーとでもいうべきアニメであり、ひきこもり体質のぼくにはハードど真ん中に命中する作品である。実際、きょうは文字通り朝から晩まで全24話を連続してずっと観てた。もはやぼくが佐藤くんである。

佐藤くんは大学一年の夏にひきこもりはじめ、22歳で除籍処分の憂き目にあってる。それに引き比べ、ぼくはおおむね順調に大学に通い、あと半年で卒業だ。まあ、まだ卒業後の進路が確定してないことに目をつぶったとしても、ぼくの方が佐藤くんよりはマシである。

けど、ひきこもりの佐藤くんに、憧れる気持ちがなくもない。

ひきこもり──それは、青春だ。これは断言してもいいと思っている。ひきこもりは、青春である。ぐだぐだと悩み、何も出来ず、時間だけがいたずらに過ぎて、単調な日々が延々と続いてゆく‥‥‥それは、ただの不毛な時間なんじゃなくて、立派な大人になるためのモラトリアムなんだ。もちろん、立派な大人ってもんになれるかどうか分からない。けど、そういう不安定な時期を経験するからこそ、人間はほんとうに成長できるんだと思う。

ぼくはもうひきこもりって感じでもなくて、他人としゃべるのにも慣れて、社会のこともいくらか分かってきて、毎日外出するような非ひきこもりである。だから──だけど──ひきこもっている佐藤くんに、ちょっとした憧れを感じるのだ。

きょうは夕方、一度外出した。そのとき、一人のおばさんに声をかけられた。

「すみません、何号室の方ですか?」
「110×号室ですが」
「NHKのものなんですが、受信料の件でうかがいました」

もう、何度目だろうか。ぼくはテレビを持っていないのだと、毎度毎度、再三再四言っているのだ。『N・H・Kにようこそ!』は好きだけれど、NHK(日本放送協会)はお断りである。
posted by 清水 at 23:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

まとめてドン

バタイユ『呪われた部分』二見書房

経済ってものをカネじゃなく魂の燃焼という観点から捉え直した斬新な経済論。人間の活動のメインとなる部分、生の最も味わい深い部分は有用性の彼方にある消尽であるという挑発的な書物。これを読めば今すぐ無駄なことに自分のエネルギーを注ぎ込みたくなること請け合いの一冊。あなたもこの夏、呪われた部分を読んであなたの呪われた部分を解放してみては!?


ボードリヤール『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店

我々の生きるこの資本主義消費社会をざっくり斬って分析したのが本書である。物質社会において物質は果たして道具として使用されているのか? 否。物質はモノという記号として消費されているのである。現代社会のあらゆる現象をモノ的観点から捉えメディアと大衆の関係を冷徹な目で捉えた消費社会の解体新書。


見田宗介『現代社会の理論』岩波新書

上記二書の主張を発展させさらに著者自身の見解を加えた現代社会論の代表的書物。すべてを市場の領域へと取り込み自動的に増殖してゆくシステムとして資本主義を描写し、いまもっとも緊急の課題である環境問題・貧困問題を分析する。そして、経済システム自体を現在の自己増殖する資本主義からバタイユの主張する精神の次元へと転回することを説く。


映画『マッチ・ポイント』

現代のシェイクスピア、ウディ・アレンが監督・脚本を務めた現代ロンドンを舞台とする悲劇。義兄の婚約者とのあいだに芽生えた禁じられた愛。上流階級の娘と結婚して大企業の重役へと就任し、逆玉の輿を実現した元テニスプレーヤーの男であったが、忘れられない愛にしがみつき、偶然に翻弄され転落の危機に直面する。果たして彼の放ったテニスボールが落ちるのは、対戦相手のコートなのか、それとも自分のコートなのか。


映画『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』

舞台は北欧、ポーランド。ソ連の支配化に置かれていた1960年代、ある田舎の保養地に一人の老画家、ニキフォルがいた。生涯に描いた絵は4万枚。言語障害を抱え孤独に生きた彼はアウトサイダー芸術の代表的な人物である(らしい)。一面雪で白いポーランドの大地と森、無骨な鞄やコート、古い車、画面に映し出されるすべてが美しく、頑固で偏狭で魅力的な画家ニキフォルの老年時代を彩っている。
posted by 清水 at 23:53| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原子力コーヒー

ぼくが、夕陽より夕陽が降り注ぐきみの顔の方がきれいだよ、って言ったから、きょうはサラダ記念日。

あれは三年前のあさってのあした、ぼくはポスト消費社会のゆくえについて前頭葉をフル稼働させて考えていた。五十分の回転で三百円が必要で、若いぼくには財布へのダメージも小さくなかったが、バイトを増やせばいいやと思って我慢して投入していた。

サンダルの裏に何か米粒のようなものが付着した気がして立ち止まってみると、後ろから知っている声がした。

「たっくん」

空耳かと思ったけど、見てみるとそこには三尺のシルクハットを逆さに被ったアイルランド出身の妖精がいたのだった。懐かしさが胸にこみ上げてきた。

「たっくん、相変わらず耳にピーナツを入れるのが好きなのね」
「やめてくれよ。久しぶりに会っていきなり豆の話なんて。それより、どうしてこんな暑いところにいるんだい。ここには水もないし、肌は大丈夫なのか?」

ぼくと妖精の妖子はそこから歩いて五十分の、もしくは落下して三十秒のカフェ「原子力空母」に行った。プルトニウムの力でいれるサイラス式コーヒーが美味の老舗である。マスターの老化現象はまた一段と進み、頭部はサハラ以上に砂漠化が進行している。

「見て、このアクリルのテーブル。中にふわふわ泳いでる緑っぽい乳白色のものが見えるだろう? これ、ぜんぶマスターが封じ込めた客の魂なんだ」
「怖いわ。自由にしてあげた方がいいんじゃないかしら?」
「それがそうでもないんだ。みんな喜んでるよ。ほら、曲にのって尻尾を振ってるだろ?」

古いジュークボックスからはアメリカで六十年代に流行った井上陽水の音楽が流れていた。この頃の井上陽水は傘も持っててしっかりしており、いい音楽をつくっていた。

マスターがカップを洗っている。その後ろには高さ五メートルの棚があって、無数のアイテムが陳列されている。いろいろな飲み物のペットボトル、携帯電話の古い機種、ネジを削って出たゴミの金属片、真っ二つに割ったCDやDVD、ミニチュアのマンホール、扇風機の羽、割れたステンドグラスを詰めた水槽、ディスプレイをもいでガムテープではり付けたマックブック、端子をすべてハンダ付けして水流カッターで半分にしたPS3、などなど。マスター曰く、「この店には世界のすべてがある」。

店の中心にはグランドピアノが一台ある。しかし、誰も演奏する者はいない。そのピアノの上には、正方形にプレスしたメルセデス・ベンツ三台がのっているからである。さらに、ピアノの白鍵一つ一つにスーパーボールが接着剤でくっつけてある。

「あじさいの花、どうなったの?」

彼女が煙草をくわえながら訊いた。ぼくはテーブルのミニ火トカゲの腹を親指で押して煙草に火をつけてから答えた。

「毎晩般若心経を聞かせてたら、彼岸花になったよ」
「残念、また失敗したのね」

ぼくは、別に失敗ではないと思い、でも、失敗と言われれば否定することもできないかと思い、それでも何か言い返したいと思ったが、別にこだわることでもないような気がして、だけど、せめてもの仕返しとして彼女のコーヒーにジャムを入れてやった。

「ありがとう」と、彼女は言った。

ふと電光啓示板を見ると、文庫本のつむじ風が時速30万キロメートルでこちらに向っているという。納豆サラダを注文しようと思っていた矢先のことだったが、これはカラシをけちっている場合ではないと気づき、ぼくは彼女の手を引いて地下に逃げようとした。

「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ一口しか飲んでないの」
「そんな悠長な事言ってる場合か! あと五時間くらいで到達するんだぞ!」

床の下にはジェニファーがいた。もちろん青い服と白い棒を持っていた。ぼくたちはマスターを信頼して、お店を出ることにした。入り口は横だけとは限らないのである。

しかし、下に向おうとしたぼくらであったが、妖子は機嫌を損ねたのかぼくにいいところを見せようと思ったのか、急にぼくの手を掴んでぼんやりとプルトニウムみたいに光ったかと思うと、地面をすり抜けて黒い空へと飛翔した。

(ああ、風って、あの空だけに吹くものじゃなかったんだな)

ぼくは妙に納得していた。ふと振り返ってみると、そこには黒いコーヒーの底に光る放射性元素の砂糖みたいに、ぼんやりとグリーンに光る喫茶店の風景があった。

物質は、それほど密度が高いものではないんだ。
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2008年08月01日

働かずに食う飯もうまい

バイトのことで悩んでいる。

コンビニはいやっ! 飲食店もいやっ! 集団塾講師は面接で落とされるっ! といったわがままと災難続きでなかなか職にありつけなかった。そんな、七月。ぼくは勢いで個別の塾講師をはじめてしまったのだが交通費が微妙に出ないわ一日に少しの時間しか働けないわで困っている。辞めたい。

けれど、他にこれといって適当なバイトもない。コンビニなら募集はいくらでもあるが、時給が700円である。死ね。死ね、しか言葉が出てこない時給である。本屋でもバイトを募集していたが、微妙に距離が遠い。それに、時給は750円である。おまえも死ね。その50円を抱いて死ね。

「ああ、なんとかして楽に稼げないものか。日記を書くことで大金が懐に転がり込んでこないものか」

2年ほどまえにそう考えて開設したこのブログ。2年でアフィリエイト収入が13ドルである。年収が6ドル50セント、月収にして約54セント。どこのアフリカだ。なにザニアだ。

一向に安定して働くことができないのだが、そもそもぼくには労働の才能がないのである。資本主義国のシステムに馴染めないのである。「明るく元気な人募集!」という張り紙を見るたびに深いため息が出るのだ。ぼくは明るくないし、元気でもないし、なんなら人でもないんじゃないかというくらい労働に向いていないのである。

ちなみに、わたくし清水は常時お金持ちで余命半年以内の独身女性を募集しております。暗くて元気じゃない人募集!
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2008年07月30日

おれのズッキーニ

というわけで、本日をもって期末試験が終った。

もうかれこれ三年半感じていることだが、試験期間中は大学にさまざまな生徒が溢れている。そう、脳みその代わりに綿が詰まっていそうな雰囲気の人々である。おかげで図書館は喧噪渦巻くスバタ的空気に包まれていたが、それも本日付けくらいで終るはずだ。

何を書くか決まらないまま四センテンス無駄にしたわけだが、いま書こうと思っていたことを思い出した。きょうのイタリア語の試験ですばらしいものを見たのだった。

そのイタリア語の授業ではちょっとした顔見知りの女の子が一人いたのだが、その子の変貌ぶりがすごかった。以前は大人しくて地味な子だとばかり思っていたのに、だんだんとファッションが過激になってきたのだ。徐々に露出が激しくなってきたのだ。

はじめはふつうにシャツとジーンズといった出で立ちだったのだが、きょうはもう、全身黒で、上はアミアミで肌が透けて見え、下はと言えば、白い太ももがあらわであった。しかも、これは強調しておきたいのだが、太ももはあらわでさらにニーソである。黒いニーソックスである。

以前はなんとも思っていなかった子だが、このようなアートを見せつけらてはぼくのズッキーニも眠ってはいられなかった。ジッパーに封印されていたイタリア人の魂が疼き出した。

疼きつつも問題を解くこと一時間と少し。ようやく解答を終えたのは試験終了3分前という体たらく。しかも、何カ所か自信のないところもあった。ぼくの中のイタリア人の血液はぜんぶ下の方に集まり、頭がお留守だったようである。
posted by 清水 at 20:13| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

ドイツ語検定試験B2

バイトしようかと迷っていた大福屋。もたもたしているうちに募集がなくなっていた。無福屋である。冗談から出たなんとかである。

これだけならまだしも、ぼくにはさらに憂鬱なことが待ち構えていた。なんと、大学の期末試験中にもかかわらず、ドイツ語の検定試験に申し込んでいたのだ。ゲーテ・インスティチュートという難しい名前の機関がやっているB2という試験。これを受けることにしてしまったのだ。

そういうわけで、きょう、大阪のゲーテまで行ってきた。

この語学学校は日本では東京・京都・大阪の三カ所に存在し、ドイツ語を世界共通語にしようというヒトラーの野望を実現すべく日夜暗躍している(嘘ですよ)。「お前は京都に住んでるのだから京都のゲーテ・インスナンタラに行けばいいではないか」と思われただろうが、京都のゲーテ・ナントカは生徒が少なく消滅寸前のためB2の試験をやってないのである(これは割と本当だ)。

いざ、ゲーテ大阪校のある梅田スカイビルへ。

しかし、このクリップを模したビルは大阪駅から見えるのにやたらと遠い。一直線に行ければ比較的近いのだが、間に無数の線路というか、電車の車庫みたいなものがあって歩けないのである。そこで、コの字を左右反転させた形で歩いてゆかねばならない。「地下道とか作ってくれれば便利なのになぁ」と思いながら歩いていった。(帰りに地下道が存在することに気づいた)

試験会場はスカイビルの35階だ。オーストリアかどっかの大使館の隣である。窓からは大阪駅を中心とした壮大なパノラマが一望できる。そして、窓の内側には(外側ではなく)受験生が10人ばかり座っていた。ほとんど女であった。

不思議なのだが、大学に入ってからというもの、行く所行く所女だらけである。映画館に行っても女ばかり、カフェに行っても女ばかり、女湯を覗いても女ばかりである。この世の半分は女だ、とはよく言うが、実際は八割くらいいると思う。

さて、余分なことばかり書いたが、きょうの試験はボロクソであった。素で、惨敗であった。六割が合格ラインなのだが、せいぜい運がよくても五割‥‥‥いや、四割であろう。それほどにきょうの試験は難しかった。偏差値50で東大を受験した気分である。マーチだって受かりゃしないのである。せいぜい日東駒専くらいの実力しか、ぼくにはなかったのである。(日東駒専の学生の方々、申し訳ありません)

はじめのリスニングが終ったとき、ぼくは35階から飛び降りたい衝動に駆られた。「飛びてー!」と心で叫んだ。

「生まれて、すみません。三日とろろ、美味しゅうございました」

が、窓が開かないというアクシデントのため、飛び降りは断念せざるをえなかった。

ぼくは、すごすごと梅田スカイビルを去った。クリップみたいな建物が、ぼくを虫けらのように見おろしていた。

今回の日記は(も)特にオチが思いつかないのであるが、試験にはオチたということで、勘弁してもらいたい。ぼくの今の心境を思いやった上で、勘弁してもらいたい。
posted by 清水 at 00:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする